
自分に合わない本を買って、不機嫌に
私は今とても機嫌が悪い。かつてないほど落ち込んでいる。楽しくなければ人生じゃない、とまで言ってのける私がこんなにも不快な思いをするのは、全ては自分の不徳の致すところだ。わかりやすく言えば、本で失敗してしまった。それも、まさかの衝動買いで、中身が自分が予想したものだとばかり確信して、中身にぱらっとでも目を通すことさえしなかった。どうしてこんな事態になったかというと、新聞のキャッチコピーにまんまと唆されて?そのままレジに向かってしまった。家に帰って、数ページ読んで、自分が望んだような本ではないとようやく気付いた。全く浅薄と言うか、思慮が足りないというか、我ながら実にお目出たくて、笑える。
定価1780円で、それに消費税が付くから、レジで払う金額は2千円近い。数ページ読んだだけで、なんか違うと気付いたら、もうそれからは読む気がしなくなった。人それぞれ本の好みは違うが、折角買ったからもったいないという理由で、読み通さなければならないという道理はない。少なくとも私の辞書には。誰かにとっては感動する素晴らしい本かも知れないが、私はさっさとお払い箱にした。つくづく思うのだが、新聞に載っている新刊本の宣伝文句には注意が必要で、鵜呑みにすると、火傷しかねない。今回の私のように。浮かれた気分を振り払い、冷静になって最初の数ページをまずは読んでみる必要がある。後悔したくなければ、後味の悪い思いをしたくなければ、絶対やるべき必須の防衛策である。転ばぬ杖のようなものであり、その事を十分に承知していながら、それでも失敗した。何か面白そうなことが書いてあるのではという淡い、いや、大いなる期待が、好奇心がそうさせた。
そもそも昨日大型書店に行ったのは、新聞に載っていた『2024年のお勧めの10冊』という記事に触発されたからだ。書評家の豊崎由美さんと松江松恋さんの選んだ10冊の本の中で、私が知っていたのは、たった3冊のみだった。朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』と星野智幸さんの『ひとでなし』、ハン・ガンの『別れを告げない』だけだった。他はすべて未知の作家で、その中で私が注目したのは、豊永浩平さんの『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で、それを買いに大型書店へと向かったようなものだった。正直に言うと、年末年始の帰省の時に電車の中で読む本を何冊か欲しかった。大型書店に行けば、何冊かは見つかると疑いもしなかった。
だが、書店に入ってすぐのところにある検索機で探してみてもヒットしない。仕方がないので、3階の文芸書のコーナーで自力で探すことにする。ふと見ると、以前は本棚が置かれていたスペースにノートやバッグ、文房具などのグッズが並んでいるのを発見して、少し戸惑った。明らかに本の品ぞろえが悪くなった気がする。目に付くのはノーベル文学賞に輝いたハン・ガンや芥川賞や直木賞作家の本で、それ以外の作家の本はたいして無いのが一目でわかった。要するに、同じ作家の本があちらこちらに置かれているという並べ方で、なんだか興ざめする。
何か本を買いたいのに、悲しいかな、買いたい本が無いという状況はほんとに惨めだ。買いたい気持ち満々なのに、その対象が見つけられない時の虚しさときたら、救いようがない。こんな時は、もうどうでもいいからとむやみやたらとその辺にある世間で言うお勧め本を買いたくなるものだ。例えば、今話題の旬の人、ハン・ガンの『別れを告げない』で、一旦は手に取っては見たものの、いや「なんか違う」と元に戻した。では、新聞の新刊本のコーナーに載っていた小山田浩子さんの『最近』はどうだろうかとパラパラ捲る。宣伝文句は”超細密描写”だそうで、本の帯には「最近、私の日常生活の淵が見えてきた」と書かれていて、私の好奇心をくすぐるのは必至だった。
そうなると、もう我慢ができなくて、どんなものかすぐにでも知りたくなるのが人間というものだ。パラパラ捲って見て、仰天した。何にかというと、ページにこれでもと言うほどのぎっしり詰まった文字が見えたからだ。しかも、段落がなく、最後まで途切れることなく続いている。こうなると、一体全体何が書かれているかが気になってしようがない。試しにあるページを読んでみたら、何のことはない、何の変哲もない日常の些細なことだった。どうやら、この小説の中身は”私”の独白で成り立っているのだと推測した。多くの人がそうであるように、本を開いた瞬間、その中身に衝撃を受けた。「これを読むのは無理」とすぐに諦めて、本を元の場所に戻し、その場を離れた。
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