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低空飛行でもいいじゃないですか

窪美澄さんの言葉に思わず、ええ~!?と溜息が・・・

 7月に入って、いつも愛読している日経のエッセイコーナー『プロムナード』の執筆陣が一新した。先日の木曜は作家の窪美澄さんの担当だった。窪さんと言えば、以前直木賞候補になった方だと記憶しているが、その作品は読んだことがなかった。それはたぶん,窪さんがどうやら主に性をテーマにした小説の書き手だとの認識から敬遠していたからに過ぎない。私は男女の性が絡んだ話は苦手で、現実だけでもうお腹いっぱいでもうたくさんというのが本音だった。何もわざわざ小説まで、そんな話を読まなくてもいいのではと思っていた。

 正直に言うと、窪さんの代表作とも言える著書「ふがいない空を僕は見た」のタイトルは”昔の名作リバイバル”というテーマである日の夕刊で見かけて知っていた。ざっと読んでみると、やはりどうしようもない現実に翻弄されて生きる男女の物語だった。ただ、そこにはもがきながらも懸命に生きる人間の姿を如実に描き出していて、とても共感できると書いてあった。だが、その時の私は、やはり男女の性というテーマに拒絶感を覚えて、そのままスルーした。

 そんな私が、日経の紙面に窪美澄さんの名前を見つけて、少し警戒したのは当然だった。正直言って、読まずにさあっと飛ばそうかと思ったが、「はじめまして」と書いてあるので、初回だけでも読もうと思った。窪さんが、新潮社の”女による女のためのR-18文学賞”でデビューしたことは既に知っていた。なぜなら、身の程知らずだった私は、何もしらないのを良いことに、拙い文章の小説を書いて応募したからだ。窪さんは15年前に『ふがいない僕は空を見た』で文学賞を取り、文壇にデビューし、最近では『夜に放つ』で直木賞候補になった。

 プロムナードの執筆陣はとりもなおさず各界で活躍する有名な方ばかりだ。作家の窪美澄さんもさぞかし成功体験に満ち溢れた自信満々の方だとばかり想像していた。だが、文章の後半では、そんなことは隠しておけばいいのにと思うのだが、自分の弱点を赤裸々にさらけ出しているのに仰天した。最近の身体の不調については、パソコンの画面を長い事凝視していると、涙が滲んでくるとか、原稿を書き上げると肩にも腰にもずっしりした重さが残るようになったと、嘆いている。さらに、心については、作家にはつきものの、鬱病を患い、こちらの方はよくなったり、悪くなったりを繰り返している。それでも、幸運な事には、薬の力を借りて何とかコントロールできているから問題はないとのこと。

 ここまでは、ただの愚痴と捉えられかねませんが、ここからの窪さんは違った。窪さんは「私は人間弱弱なままで生きていてもいいじゃないという作品を書き続けてきた人間です」と堂々としている。そして、「人生いい時ばかりじゃありません。そうじゃない時の方が多い気がします。低空飛行でもいいじゃないですか」と畳みかけてくる。私は知らず知らずのうちにじ~んとなってしまった。「朝、起きて、夜、布団に入る。ただそれだけの毎日だって、人生は生きるに値するし、それを毎日続けていることは何という奇跡の連続なんだろうと思います」との言葉に目から鱗だった。今まで、散々浴びるかの如くプロムナードのエッセイを読んできたつもりだが、こんな常識と一線を画すような究極の名言を聞いたことは無かった。

 世の人が言うことには、「楽しくなければ人生じゃない、そうでなければ生きている意味がない」というのが大半の意見だったはず。要するに、苦しい時でも、それは後になって楽しい思い出となるはずなのだが、よく考えてみれば、ただ楽しいだけの人生なんて、ありえない。もういい加減に認めていい頃だ。楽しくないこともあって当然で、それを素直に認めていいし、そうであっても、それが人生というものなのだ。毎朝新聞に載っている、ある日の人勢占いは「完璧を目指すな。半分で良しとせよ」だった。そんな日もあっていいと思えた。

mikonacolon

 




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