
注意散漫な自分を反省
昨日頭を打って、しばらく立ち上がれなかった。これで、私の人生もついに終わりかと思うくらい動揺した。大げさかもしれないが、それくらい頭の痛みはズキズキして、いつ止むのかと思うくらい激しかった。何も転んでそうなったわけでもなく、高い所から落ちたわけでもない。たかが、戸棚の扉に思いっ切り頭をぶつけただけのことだが、予想外の衝撃だった。以前、掃除をしていて、立ち上がるときにドアのノブで頭を打ったことがあったが、すぐに立ち直った。痛みもたいしたこともなく、平気でいられたが、昨日は違った。この世の終りとも言える痛みに襲われて、少しの間その場にうずくまっていた。もし、この痛みが引かなかったら、どこか病院を、一度も行ったことはないが近所にある外科クリニックを受診しようと本気で考えていた。
ズキズキした痛みに耐えながら、パソコンを立ち上げて、病院のサイトを確認すると、休診日ではないとわかってホッとする。痛みを誤魔化そうと、気をそらそうとして、Huluでやっている大秦帝国を少しの間見ていた。それでも、頭のズキズキはいっこうに収まらず、なす術がない。仕方がないので、洗濯でもするかとよろよろと立ち上がった。すると、絶対に引きそうもなかった痛みが次第に楽になった。一時は死ぬかとさえ思った痛みが嘘のように消えて行ったが、本当に大丈夫かという不安がぬぐい切れない。それなら、念のためにクリニックにでも行けばいいのにと思われるだろうが、そこは自分の都合のいいように解釈し、一件落着となった。
そもそも、事の発端は、今度行く海外旅行に持って行くキャリーケースに荷物を詰めて置いて行く場所がないことだった。キャリーを縦には置けても、横に置くスペースがなかった。それで、玄関にある収納棚を開けたら、切り抜いて溜めて置いた新聞小説の大量の束を発見した。はっきり言って、もはやそれらを読み返すことなどないだろうことは確実だった。これらを処分して、場所を開ければキャリーぐらいは楽々入るとそう判断した。「思い切って捨ててしまおう」とそれらのひとつを手に持って、移動しようとした瞬間、棚の扉に頭をぶつけてしまった。頭にズキンとした衝撃が走った。思わず「痛い!」と声を上げ、またやらかしてしまったことに薄々気づいた。
要するに、扉をちゃんと開けておけばいいのに、半開きの状態だったので、頭がぶつかってしまったらしい。ある意味,避けられたはずの悲劇だが、何ごとにおいても詰めが甘い私らしい失敗とも言えなくもない。過去の失敗から、「頭上に注意」とあれほど気を付けていたのに、その舌の根も乾かないうちから、もうやらかしていた。こうなると、情けなくて涙も出てくる。さっさと紙袋に溜め込んだ新聞小説の束を詰めてゴミ置き場にもって行きたいのに、それどころではない。1時間ぐらいして、ようやく動ける程度に痛みが引いたので、収納棚にあったほとんどの新聞小説を紙袋に詰め終えた。
その時思ったのだが、新聞小説は正真正銘の新聞紙なのだから、リサイクルに出せるはずだ。それなのに、切り取ったせいで、ゴミになってしまったのだ。あとからまとめて読もうとか、あらすじがわからなくなった時にあると都合がいいと言う自分勝手な理由で切り取っておいた。果たして、それらをリサイクルのために新聞紙として出したら、どうだろうか。業者の人はすんなりと持って行ってくれるだろうか、とそんなことをふと考えた。ただ、こんなにゴミを増やすくらいなら、新聞小説を切り取っておくのはやめようと思った。あれくらいの長さの文章なら、その場ですぐ読めるはずで、その時で完結すればいいだけのことだ。「あとでまた読む」なんてことはするまでもないし、また現実にはなかなか実行は難しい。
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