
果たして、哲学は日常生活に役立つのか
この本『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』を読んで見ようと思ったのは、新聞の新刊の広告に惹きつけられたからだ。そこには「哲学の基本が面白いように理解できる」と書かれていた。もしも、その時私が冷静だったら、これは眉唾物だと即座に判断するのだろうが、勝手に舞い上がった好奇心はもう止められない。そこに油をさしたのは、図書館のサイトでこの本を発見したことで、早速予約して本の到着を待ちわびていた。この本は、実際にフランスの高校で使われている教科書で、そうだとすれば、絶対面白い、いや、わかりやすいのだと自分勝手に思い込んだ。それに、新聞の新刊の宣伝文句にも「日常生活に役立つ」とまで書いてあったので、なおさら信じ込んだ。
だが、いざ図書館から持ち帰ってペラペラ捲ってみると、難しい哲学用語がてんこ盛りで、何が何だかさっぱりわからない。勝手に面白がって借りてはみたが、いちいち順番にページを捲り、我慢してひととおりこの本を読み通す、などという気にもならない。そんなことをしたら、まるで拷問、いや、罰ゲームのようではないか。そんなことはできない。それでも、著者であるシャルル・ペパンさんの「はじめに」という冒頭の言葉を読んでみた。そこには「哲学なんて、何の役にも立たないと思っている人たちからの質問にも真摯に答える」とあり、実際に「本当の友だちってどうしたらわかりますか」という質問にズバリ答えている。哲学的境地から言うと、危険を承知で言うのならと前置きし、「友の条件は『この人を信頼できるか』ではなく、『この人と一緒にいることで自分に自信が持てるようになるか」で決まる」と。この結論はアリストテレスの友情の定義から導き出されている。引用すると、「それぞれのものは、その終局実現態にある場合の方が、可能態にある場合よりもより優れて、その当のものであるといわれるからである」となる。
友人とはあなたをよりよいものにしてくれる人。あなたを成長させてくれる人、その人と出会わなかったら、眠ったままになっていたであろう部分を目覚めさせてくれる人。アリストテレスが常に求めていたのは、機会を捉え、「可能態」にあるものを「実現態」へと現働化することだった。このように説明されれば、キャパシティーがない私の頭でも理解できる。残念ながら、この本の大部分は全く理解不能だが、それにしても、フランスの高校生はこんな難しい哲学をいったいどうやって学んでいるのだろうか。いや、彼らは哲学を学校のカリキュラムだから仕方なく学んでいるのではない。驚くべきことに、彼らはフランスの大学入学資格試験で、哲学についての論文を書かなくてはならない。4時間余りの時間で、カントや、プラトン、ショーペンハウエルなどの理論を、どうしてそういう考えに至るのかを筋立て、順を追って説明しなければならないのだ。
フランス在住30年の鍼灸師でジャーナリストでもある浅野素女さんによると、浅野さんのお子さんも含めて、哲学的思考をフランスの子供たちは早くから学校で学んでいるとのことだ。日本の小学校と違って、フランスの子供たちは自分の意見をもち、それを皆の前で発表するという訓練を日常的にしていた。自分で考え、自分で行動するという教育の中においては哲学的思考は彼等にとっては自然で、すんなりと受け入れられるのだ。なので、バカロレアで哲学の論文の課題を出されたとしても、フランスの高校生にとっては朝飯前なのだという。いや、それはさすがに言いすぎかもしれないが、恐れるに足りずとは言えるだろう。
上手くバカロレアに通れば、好きな大学に入れるが、現実はそう甘くはない。せっかくソルボンヌに入れたとしても、ほとんどが落第し、卒業できるのはほんのわずかだという。そんな甘くない現実も踏まえて、フランスの高校生はバカロレアを受けるのだ。