
思わずストーカーしそうになった自分に呆れる
昨日、プールからの帰り道にあるスーパーに立ち寄った際の出来事だった。いつものようにショッピングセンターから出ようとした時、突然の大きな声に耳を傾けざるを得なかった。「○○さんって、メチャクチャ娘さんと仲いいですよね」と今では珍しい長髪の若者が連れの初老の男性に話し掛けている。その言い方がまさに感動していると言わんばかりに、羨ましくて仕方がないと言った気持ちで溢れていた。○○さんは初老の男性の名字らしく、その人もまんざらでもないように「まあ、そうだね」と即答し、肯定している。すると、若者がさらに、「○○さんはどうしてそんなに娘さんと仲がいいのですか」とその辺の詳しい理由をどうしても聞きたいらしい。すぐ側で聞き耳を立てていた私もさっさと自分の家に帰ればいいものを、父と娘がどうしてそんなに仲がいいのかについての理由を知りたくてたまらなくなった。別に見も知らぬ他人のことなのだから、どうでもいいではないかと思うのが普通なのに、やたら興味津々で気をそらすことができない。思わず二人の話の続きを聞きたい欲求を抑えられず、後をついて行こうとした。だが、その瞬間、もうひとりの自分が「あんた、いい加減にしなさい」としかりつけて来たものだから、「いけない、いけない、もう少しでストーカーに成り下がるところだった」と我に返る。
正直に言うと、あの二人の話の続きを是非とも聞きたかった。幸か不幸か、二人は横断歩道を渡り、私とは反対方向に行ってしまった。ああ、ああ~、もうちょっとだったのにと残念な気もするが、諦めるしかない。一体全体私は何を考えていたのか、他人の話にこうも惹かれるとは。先の若者が「世間一般で言うと、父親と娘は険悪なのが普通なのに、○○さんとこは凄いですよね、あんなに仲がいいのだから」と絶賛していたように、仲がいい秘訣をどうしても知りたかったのだろうか。それでも、ストーカーに成り下がる自分に嫌気がさした私は、遠くから二人が先ほどの話の続きをしているのを眺めているしかない。
要するに、私は仲が良すぎる父と娘が羨ましいのか、と考えたとき、いや、そうでもないと即答できる。ただ、いつも、パソコンを立ち上げて、ヤフーの画面を見ると時折芸能人一家の情報を目にすることがあって、そこには「仲良し一家」の文字があった。「仲良し一家」は昨今では希少価値があるようで、皆の憧れでもあるのか、手放しで絶賛されている。そんなフラッシュバックの効果もあってか、いつの間にか私の頭にも「仲良し」の文字が焼き付けられていたようだ。となると、「私もあんな家族になれたらいいなあ」などと皆思うのだろうか。まあ、思うのは勝手だが、家族はそう仲が良くなくてもいいのではと常々思っている私などは違和感を抱かざるを得ない。家族は普通でいいい、努力でどうなるものでもないと思えてくる。
「仲良し」という言葉で思い出したのは、毎週何回かプーㇽで会っているプール友だちのことだ。彼女は現在マンションで一人暮らしだが、しょっちゅう息子さんや孫が泊まりに来るので、結構忙しい。「仲良しなのですね」と私が言うと、「まあ、そうよね」と本人も認めている。先日は彼女の誕生日だったので、子供や孫たちから「誕生日、おめでとう」のラインがひっきりなしに届いた。私などは誕生日なのだから、皆からプレゼントでも貰ったのかと思いきや、ラインだけで、具体的な贈物はしなくていいらしい。これには正直仰天したが、ラインが来ると言うことは、自分の誕生日に気づいてくれたと言うことで、そのことが何よりも優先されるらしい。私が想像していたような誕生日会もないようで、本人がそのことを口にしないのだから敢えて聞くことはできない。そうか、ラインでいいのか、ラインだけで済ませることができるのか、と私などは仲良し一家の「誕生日の流儀」に目から鱗が落ちる思いだ。
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