
私も昔はそうだった
中日新聞に連載されている青沼貴子さんの4コマ漫画『ねえ、ぴよちゃん』を毎日楽しみにしている。何でもないことなのに、クスッと笑えるところが気に入っている。そんなことあるある、と頷いてみたり、ぴよちゃん一家の平和な生活を、現実でもこんなんだったらいいなあと、しみじみ感じることもある。昨今は新聞を読んでいると、暗い話題が多いから、余計にそう感じてしまうのだろう。現実にはいつも平穏な生活なんて、望むべくもないが、せめてぴよちゃん一家だけは能天気な雰囲気でいて欲しいと願わずにはいられない。
さて、先日のぴよちゃんは、一家で食事の真最中で、ぴよちゃんはエビフライにかぶりついていた。「好きな物からたべよ~」と満面の笑みで食べていると、お母さんが「ぴよは何でもそうね」と呆れている。隣にいたお父さんは「何でも?」とその意味がわからないようだ。2コマ目は、ぴよちゃんはねこじゃらしで愛猫の又吉と遊んでいる。お母さんに「もう8時よ。お風呂は?」と言われても、「もうちょっと」とお母さんの言うことになど気にも留めない。3コマ目はまたまたお母さんが「もう9時よ寝ないと」と、いい加減にしなさいとばかりにぴよちゃんをたしなめるが気にしない様子。側にいる又吉は夢の中なのに、ぴよちゃんは猫の本かなんかを読んでまた「もうちょっと~」を連発する。
これでいったいどうなるんだろうと心配になるが、最後にとんでもない事実が発覚する。最後のコマはぴよちゃんが、なんと、「宿題やらなきゃ、だけど眠い」などと言っいながら、宿題のプリントを開いている。といっても、危うくプリントに突っ伏して寝そうな雰囲気だ。その様子を見て、お母さんは「嫌なことを後に残すから」とやっぱりこうなったかとあきれ顔。その一方で、隣にいるお父さんは「なるほど」と妙に納得している。
実を言うと、このマンガと似たような経験が私にもある。高校時代、第一志望の学校に入れなかった私は、ある意味うらぶれていた時期があった。要するに、完全にやる気を失くしていて、夢も希望もありはしない、どうにでもなれという捨て鉢な気分だった。そんな私は自分とは縁がない楽しいことを求めていたようで、なぜかテレビに夢中になった。今と違ってビデオなどという便利なものはまだない時代で、見逃がせばそれで終わりだった。そんなに面白い番組がやっていたわけでもないが、とにかくテレビの画面を見ていさえすれば、何も考えなくてもよかった。あの頃11時までテレビの前に居座り、それから学校の宿題をやろうとした。仕方なく、居間から自分の部屋に戻ると、現実が待ち構えていた。だが、当たり前のことだが、睡魔が襲ってきて出来やしない。
自業自得だが、もちろん自分でもよく分かっていたが、どうしてもやめられなかった。いや、そうではなく、散々楽しい思いをしたのだから、心置きなく宿題ができるだろうなどと、高を括っていた節がある。現実には、楽しいことの後に嫌なことをやろうとするのは何倍ものエネルギーが必要になる。しなければならないことは楽しいことの前にやって置くに限ると言うことを、大人になってから初めて学んだ。
誤解されると困るので、弁明しておくが、理屈としてはよく分かってはいたが、今一つ実感が伴わなかっただけのことだ。例えば、大嫌いな掃除にしたって、後でやるのが嫌だから、早朝にやってしまうだけのことで、その分苦痛が少ないのも利点だ。長年大人をやっているのにも関わらず、そんなこともわからなかったのかと呆れられても仕方がない。嫌なことほど率先してやるのを心がけたら、私の人生も以前よりは少しは楽しくなった気がする。昔は自分ぐらい、ついていない人間はこの世にいないのではないかと歎いていた時期もあったが、今は「私はついている」と実感できるからだ。
本当は本を読みたいのに、料理をしなければならないとか、掃除をしなければならないとかの心の葛藤はできれば避けたい。そのためにも、まずは嫌なこと、どうしてもしなければならないことを先にやって置くのは自衛本能のようなものだ。
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