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この先不安で眠れない

楽観的思考ができない訳とは

 実を言うと、今朝はブログなんて書くのをやめようかと思った。なぜなら、昨晩は寝ようとしても、全く寝られず布団に横たわって悶々としていたからだ。明るく、楽しいことを考えようとしても、全く思いつかない。20年以上使った海外旅行のための貴重品ベストを修復したのにも関わらず、「これを使う時は果たしてこれからあるのだろうか」などと思う始末。旅行の準備が整ったとしても、肝心の自分の身体が役立たずでは何も始まらない。それを証拠とばかりに、今の私はちょっとした階段すら昇り降りするのに躊躇してしまう体たらくだ。階段が怖いのだ。どうしても足の痛みが気になって、勇気を出して踏み出すことができない。1月からまともに階段を使っていないので、変な話だが、階段の昇り降りの仕方を忘れてしまった。こう書くと、何とも情けない話だが、事実なのだからどうしようもない。

 何とかお盆の帰省はできた。利用する駅ではエレベーターが設置してあったので、ずいぶん助けられた。それで、私はふと気が付いた、今の自分は以前は「あんなものを引いて階段ではどうするのだろう」と不思議でならなかった特大のキャリーケースをもっているようなものなのだと。私にとって、まともに歩けない足は、特大のキャリーケースとほぼ同等の存在なのだ。階段を利用したいのに、それができなくて、駅の構内やホームをウロウロし、エレベーターを見つけようと必死になった。エレベーターを使うことに慣れていないので、ついついまた元の場所に戻ってしまうと言う失敗も何度かした。不自由な足という足枷は周りを見ていると、どう見ても惨めだが、そんな事を気にしている場合ではなかった。なんとか実家のある最寄り駅に辿り着いた時は、ささやかな達成感さえあった。

 足が悪くても、まともに歩けなくても乗り物での移動は可能なのだと自ら証明したようなものだ。正直言って、目の前にある階段を利用出来なくて、エスカレーターやエレベーターに頼らなくてはならないのは面倒臭いし、癪だが、どうしようもない現実は受け入れざるを得ない。だから、安心したと言うのではなく、やはり、自分の足で階段の昇り降りをしたいのは言うまでもない。

 足が不自由でも帰省できたという成功体験に味を占めた私は、先日年末年始の列車予約を実行した。お盆に帰省ができるのなら、この先の年末年始も軽いと高を括ったのだ。きっと、その頃は足も相当に良くなっているはずと希望的観測をしているが、果たしてこの先はどうだろうか。お盆の時にも感じたのだが、自分で思うほど、そう簡単に足は良くなってはくれなかった。そうなると、この先も、確かに良くなっている兆しはあるにはあるが、実際には歩くとそんな希望も簡単に打ち砕かれるのが現実だ。「良くなるはず」という期待が大きいほど、強ければ強いほど、自分を追い詰めて苦しくなる。ならば、そんな無駄な期待などしなければいいとそっぽを向いてみても、虚しいだけだ。

 先日もプールで顔なじみの人から、「プールで歩いた後は足がすこしは良くなるでしょう」と聞かれたが、適当な返事しかできなかった。なぜなら、プールで30分間黙々と歩いた足は当然のことながら十分疲れているからだ。プールからの帰りは他人が思うほど、いや他人の想像を遥かに裏切って、足の調子に全く変化は見られない。要するに、15分歩こうが、30分歩こうが結果は同じで、足が痛いことには変わりない。そうとわかってから、後先考えず無理してでも歩こうという暴挙に出た。それまで帰りのことを考慮して15分で終えていた水中ウォーキングを30分に増やした。そう、7月から現在までずうっと30分歩いても、今では平気になった。水の抵抗を全く感じない瞬間も何度かあって、その気持ちよさに嵌っている。

mikonacolon

 




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