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お母さんになった日

タイトルに驚いたが、すぐになあ~んだと納得

 先日の土曜日、朝日新聞を見ていたら、「『お母さん』になった日」というタイトルが目に飛び込んで来た。それは益田ミリさんの「オトナになった女子たちへ」のエッセイで、慌て者の私はてっきりミリさんが本物の”お母さん“になったのかと思ったが、そんなはずはない。だとすると、世間でよくある、ペットを飼うことにしたので、その子のお母さんになったのかとしか想像できなかった。だが、エッセイをよく読んでみると、あるアトラクションに並んでいたら、係員の男性にお母さんと呼びかけられたいうものだった。子供もいない独り身の中年女性が、見も知らずの男性からお母さんと呼ばれたら、すぐに自分のことだとは思えないだろう。

 ミリさんは人生で初めてお母さんと呼ばれた。自分が傍から見れば、母親に見えることにこれまで全く気が付かなかった。だが、果たしてお母さんと呼ばれたら、どんな気持ちがするのかと考えたとき、未経験の私には想像がつかない。そこで、ミリさんは係員の男性の年齢をざっと見て、30代前半だと踏んだ。だとすれば、自分が23歳の頃に産んだ子で、その頃のことがふと頭に浮かんだ。あの頃、仲間とよく通っていた居酒屋があって、そこのおかみさんを皆「おかあさん」と呼んで慕っていた。自分の子供でも何でもない子たちにお母さんと呼ばれて、果たしてどう感じていたのかと今にして考えた。世間的に言えば、「お母さん」という呼びかけは悪意などこれっぽっちも含んではいないはずだ。むしろ、善意に満ちた親しみを込めた言い方だとも言える。だが、内心、割り切れないものもあることは確かだ。「お母さん」という呼び方はやはり違う気がするし、使い勝手が良すぎて、軽率な気がする。

 さて、ミリさん自身はというと、「イヤではない。ただし、うれしくもない」という答えに達した。見ず知らずの他人にお母さんと呼ばれることにある種の気持ち悪さを感じているのかもしれない。馴れ馴れしくすり寄ってくる言葉の暴力に抵抗したくなるような本能が働いているのかもしれない。「言っておきますけど、私はあなたのお母さんではありません」とできれば言ってやりたい気持ちをぐっと抑えている感じ。でも、そんなことどうでもいいか、そんなにむきになることもないかと、何処かで諦め半分なのだ。いちいち拘っていたら、身が持たない。 

 考えてみると、テレビの街頭インタビューでは、リポーターがときおり相手に向かって「お母さん」とか「お父さん」とかと呼びかけるのを耳にすることがある。その時はまあ、親しみを込めての呼びかけだと勝手にそう信じていた節があるが、ミリさんが問題提起してくれたことにより、果たしてどうなのかという迷いが生まれた。お母さんとかお父さんとか言う呼びかけは相手によってとらえ方が異なることも確かだ。それに、そう呼びかけられた相手の顔をよく見てみると、不快感は微塵もない。社交辞令としてのお母さんとかお父さんとかの呼びかけはどうやら世間で通用しているらしい。かくいう私もそんなことに拘らなくてもいいとずうっと思っていた。だが、本物のお母さんやお父さんになっている人ならいざ知らず、独り身で子を持たない人たちをそう呼ぶのはいかがなものだろうか。果たしてどう思うのだろうか、いや、別に気にしなくていいではないかという、なんとも不毛な問いを繰り返すことになる。正直面倒臭い。

 私の知人のひとりに、買い物中に「奥さん」と呼びかけられて、「私は奥さんじゃありません」と激怒した人がいる。誰もがさらりとかわす場面でもこだわりを貫いている誇り高き人だった。彼女は独り身で子は無かったので、どうしようもなく違和感を感じてしまったことは理解できる。

mikonacolon




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