
自転車を甘く見てはいけない
プールで時々見かけて、話をするようになったユキエさんは、ある時から姿が見えなかった。どうしたのだろうと、怪訝に思っていたら、最寄りのスーパーで偶然出くわした。ユキエさんは、自転車で転んで、3針も縫ったそうで、それでプールに来られなかつた。出血が止まらず、偶然通り掛かった救急車に乗せられて、病院に運ばれた。その話を聞いた時、俄かには状況が理解できなかった。田舎育ちで、中学、高校と自転車通学をしていた私は、ついつい自転車くらいで救急車だなんて、ずいぶん大袈裟だなあと思ったのだ。要するに、たかが自転車で転んだくらいであっても、大けがをする可能性はいくらでもあると言うことだ。もちろん、ケガをした本人を前にして、「自転車くらいでそんな大けがをするなんて、運が悪いね」だなんてことは決して言うべきことではない。
それに私は大人になってから、自転車に乗る機会はこれまでなかったし、だからこそそんな不謹慎なことを言えるのかもしれない。思えば、私だって、自転車で転んだことがある。あれは、たしか、田舎道を自転車で走っていたら、靴紐をちゃんと結んでいなかったせいで、ペダルに引っかかり転倒してしまった。自転車は道路に倒れたが、当の私は、すぐ下のたんぼに落っこちた。ちょうど稲刈を終えたばかりで、稲の茎が残っている時期で、それがクッションになったようで、ケガ一つしなかった。すぐに立ちあがり、道路に這い上がり、何ごともなく家に帰ったと思う。もう一つの転倒事件は通っている高校の正門を通りすぎたときに起こった。いつものように門を通りすぎようとしたら、反対側からも男の子の自転車が来て、私たちは衝突した。私は倒れて、転んで膝をすりむいたが、相手の男の子は風のように消えてしまった。あの時も、大したケガではなかったし、病院にも言った覚えはない。だからこそ、私は自転車をどうしても甘く見てしまう傾向にある。
通っているプールで週に2、3回来る高齢の女性がいて、その人はいつも上級者のプールで泳いでいた。足が不自由だとみえて、更衣室へは杖を突いて移動するのだが、水の中に入るとまさに別人だった。凄いなあと、いつも思っていたが、ある時、プール友だちのマサコさんからその人のことを聞かされて仰天した。なんと、あの方は92歳で、しかも90歳以上の水泳大会に出場しようと闘志を燃やしていた。スーパーウーマンとも言うべきその女性はカオルさんで、最近よく私がいるウォーキングコースも時々来るようになって、話をするようになった。どうして足が悪くなったのか、聞いてみたいがなかなか聞けなかった。すると、先日その理由を自ら話してくれた。
何と足が不自由になった原因と言うのは、自転車で転倒したことだった。当時は病院に何か月も入院して、ずいぶんよくなったが、どうしても膝の痛みだけは取れなかった。82歳の時自転車で転倒したせいで、92歳の今でも杖が手放せない生活を強いられていた。そう言う気の毒な人に向かって、「たかが自転車で転んだくらいで・・・」だなんて、口が裂けても言えるわけがない。そうなのだ、カオルさんの例もあるから、高齢になったらもしものことを考えて、自転車に乗るのはやめるべきなのかもしれない。もっとも、先日日経のエッセイ『心の玉手箱』で、ドイツ文学者の丘沢静也さんは、70代なのに自転車を愛用しているのだから、少しお節介なのかもしれないが。
私はと言えば、田舎にいたときは田園を颯爽と走れるので、あの爽快感が大好きだった。だが、今は町中の生活で、自転車は必要なくなったし、それに今は凶器と化した自転車が怖くて堪らない。
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