
ここぞとばかりにあらん限りの親切心で接する
帰省して、体調を崩したことは昨日のブログで書いたが、実を言うと、その前から気分は最低最悪だった。田舎にはいつも新幹線を乗り継いで行くのだが、今回はその新幹線をホームで待っている間に想定外の猛暑で身体がヘロヘロになってしまった。ただ待っているだけなのに、立っているだけでもう限界となったタイミングで、新幹線に乗り込んだ。本来なら、旅の楽しみのひとつである弁当と飲み物を携えて、意気揚々と列車に乗り込むのだが、悲しいことに飲み物しか持ってはいない。ホームにある自販機はお茶とコーヒーなどの飲み物がすべて売り切れだったので、売店で買うしかなかった。その売店も、弁当やおにぎりがところ狭しと並べられているはずの棚が空っぽだったのには仰天した。
ホームにいる大勢の人たちを観察してみると、心成しか、弁当の袋をもっている人は少ないようだ。私も弁当が買えなかったことに少々後ろ髪をひかれたが、仕方なく窓際の座席に座った。新幹線が動き出すと同時に、隣に座っている女性がカサカサと何やら行動を起こした。弁当の包み紙を開けて、これから食べようとワクワクしている様子が伝わって来る。この光景はいつものお約束みたいなもので、車内のあちらこちらでカサカサの大合唱が聞えるはずだった。だが、あれ?どうしたことか、いつものあのざわめきは今回は起きなかった。それどころか、車内は至って静かで、拍子抜けするほど平和だった。
こんなことを書いている私にしたって、いつもなら、隣の人が出すカサカサに空腹感を刺激されて、身もだえするはずなのに、何ともない。この場面では弁当を食べるべきなのに、食べなくてもいいのだと思えて来た。要するに、1時間余りもホームに佇んでいた私は、想定外の暑さにやられ、食欲を完全になくしていた。隣で弁当を食べている人を羨ましいとも何とも思わないくらいに。それくらいいつもの自分とは全くの別人になったのに、それを不思議にも思わない自分がいた。何も考えず、ただ乗り換えの私鉄の連絡口に速足で向かった。その時の私は元気のカケラもなく、自分だけの世界に閉じ籠っていたはずだった。
ところが、電車を待っていたら、外国人と思われる二人組の男性に声をかけられた。そのうちのひとりが何かを言っているようだが、聞き取れない。もう一度よく聞いてみると、その人は「質問してもいいですか」と日本語で言っているのだと分かった。普通なら、最悪の気分なのだから、断ればいいのだ。だが、柄にもなく親切心がムクムクと沸き上がり、「どうしたのですか」と聞き返してしまう。どうやら彼らは行きたい所があるが、どの電車に乗っていいいのかわからなくて困っていたらしい。
「高倉に行くのにはどの電車に乗ったらいいですか」。これが彼らがどうしても知りたかったことだった。その駅にはホームが一つしかなく、行き先によって、乗り場がプレートで表示されていて、その列に並んで待って乗り込むシステムになっている。もちろん、ホームにあるテレビでどこ行きか確認できるのだが、慣れない人にはわかりにくいシステムである。今まで当然のことだと思っていたが、知らない人には魔法のようで混乱するのは必至だ。
さて、高倉か、困った。一度も高倉に行ったことがない私は教えてあげられない。「わかりません」じゃあ、あまりにも芸がない。これでは子供と同じだ。それで、周りにいる人たちに聞きまくった。こんな時、側に駅員でもいれば、よかっただろうか、こんな時に限って影すらない。最初の人は暇そうだったが、いまいち真剣に取り合っては貰えなかった。二番目の人はスマホを見ていていたが、すぐに顔を上げてくれた。その人は何と外国人で、スマホの翻訳アプリを差し出して、私に話すように促した。それなのに、答えは「わかりません」だったので、すまなそうな顔をした。仕方がないので、今度はホームで電車を待っている中年の女性に尋ねてみた。
「高倉なら、水色の看板のところよ」と言われたが、車両数が少ないので、今いる場所では乗れない。もっとホームの前方に行かなければならないのだ。そうか、特急や急行なら、車両数が多いので、問題ないが、各駅停車の高倉行きとなると、せいぜい2両ぐらいだからだ。こんな特殊な事情は外国人には、いや、私のような日本人にだって、考えも及ばないことだ。慣れれば何でもないことだが、誰にだって”初めて”はある。とは言え、外国人には甚だハードルが高い。
やっと、自分たちが乗る電車がわかって、彼らは満面の笑みで「ありがとう」と言いながら、ホームの前方に急ぐ。そこへちょうど、高倉行きの電車が来た。彼らが乗り込む姿を見届けた私はホッと一息ついた。
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