2月10日。阪神地域の私立高校一斉入試日である今朝は、娘と一緒に家を出た。高校生になるのか、娘が。このまえツイッター相互のぜつさんと話してたんやけど小中学生の時まではまだ、わかるのよ、わかったの、我が子って。でも高校生って、急になんかこっち来た!?ってビックリしてしまって信じられない。こっち側やん、子供ちゃうやん、て。それも一足飛びで来た感覚。
そんで受験会場へ向かう娘を玄関で見送る……キットカットとかカロリーメイトとか早めのパブロンとかそういうCMで見たようなあれ、あの感じをやりたかった気持ちもあったけど、今日は通勤を同じ時間に合わせて駅まで着いていくことにした。
思えば高校受験のために通っていた週2回の塾も、私はずっと、どんなに仕事が忙しい時も一緒に行って、帰ってきた。それは送迎と言うよりも、一緒に行って・帰るだけというほうが近いような気がして、なぜならペーパードライバーで今では自転車すら乗らなくなった私が送迎するのだから、当然徒歩でトコトコ一緒に歩くだけなので、娘にとっては物理的には何の足しにもなってないのだ。
それでも毎回塾へ一緒に行き、終わる頃にはまた外の小さな神社のベンチに座って娘の帰りを待った。暑い日も寒い日も。
神社には猫がいて、時々私と一緒に娘を待ってくれていた。
いつもいろんな話をしながら二人で歩いた。口を聞いてくれなかった日も2回あった。
今朝は、昨日まで道の端に残っていた雪もすっかり溶けて、太陽の光が輝いていた。日曜はすごい雪だった。


見慣れた町が白くなるのはちょっとテンションが上がったけれど、入試当日がこの天気ではなくてよかったと思う。
最寄駅に着くと、すでに大勢の中学生と各学校の教師が点呼をとっていた。この駅は私鉄とJRが繋がっており、またターミナルでもあり各4路線が行き交うので、同じ市内だけでなく近隣の市・大阪府からも多くの受験生が乗り換えに利用する。
いったん改札で娘と別れた私は自分の勤務先にいく電車に乗り込んだものの、また降りて、向かいのホームに移動し、再度娘を見送ることにした。同じ学校の子と談笑する娘を見て少し安心した。
塾の先生は「高校受験で人生が決まる。⚪︎⚪︎高校(県有数の公立進学校)に行けないと人生終わるで」などという。そういう商売なのだから仕方ないのだけど、高校入試ぐらいで人生のなにも決まるはずがないことは私が、というか氷河期世代が、よーく知っている。
氷河期世代。一体何人……何万人の優秀な人たちが屍になっただろう、高学歴が何の助けになっただろう。人生がきまる?鼻で笑いたくなる。
高校入試で決まるのは高校だけだ。44年生きてきたからそれぐらいわかる。あんなもんは人生の岐路なんかではなかった。岐路、ではなく、しかし通過点で節目の一つだった。
自分の人生には間違いなく岐路もあり、そして「人生が決まる」という出来事もあったと思う。それらは、どの道を選んだかというより「誰と出会ったか」に起因するところが大きかった。
バンダイの人生ゲーム、私はボード版のあれをやるのがとても好きだった。子供の頃なんて、人生ゲームが好きすぎて、実家には2種類の人生ゲームがあったほどだ。あのゲームにも、何個かの分かれ道や選択に迫られる場面がある。しれっと過ぎ去っていくコマもある。高校受験、なんて、サーっと流れるようなコマの一つにすぎない。そして本当の人生と異なるのは、複数のプレーヤーが一つのボードでコマを進めるのではなく、それぞれが皆各々のボードを持っており、それらが出会うと道が分岐する、というようなイメージ。だから、娘にはどこの高校に通うにしても、大切な出会いがあってほしいな…
そんなことを考えていたら、試験開始5分前。今まさにこの同時刻、緊張しながら慣れない学校の椅子に座って答案用紙を見つめているであろう我が子の姿を想像すると、泣きそうになってしまった。今日の通過点、節目の一つが、無事に済みますように。ゴールなんて、いつになるやら誰にもわからない。