この時期は、今年買って良かったものエントリーが話題になる頃だが、私が今年「手離して良かったもの」を挙げるとしたらそれは、怒りと執着である。
私にはずっと目指していた新人賞があって、もう10数年挑戦してて、それがまた去年もだめで、でも毎回箸にも棒にもかからないのなら諦めつくのに一次審査が通ったり過去には二次も通過しちゃったりで変に希望持ってしまう結果も残してるからなかなか諦められなくて、それでもまた去年は一次すらダメで、ほんまに悲しくていじけて腹立ってもう小説なんか知るかボケ!文化的な活動一切やらへん、これからは肉体労働じゃい!!って3つも仕事して、ふと立ち止まると、ああやっぱりなんか書きたいし賞とかもうええかな、とおもてん。いやええことないんやけど、くれるんやったらほしいけど。
そら無理やで新人賞なんか、毎年たった一人しか選ばれへんのやもん。
そんなもん、「世界に一つだけの花」側じゃなくて「SMAP」側の人なんよ。
しょうもない花なんか誰でもなれるねんけど、スマップになるのは、神様から選ばれた人しか無理やねん。ほんで、そこになられへんかったとしても何ら落ち込むことはないわな、と、やっとわかったわ。好きに書くし好きに働くわ。
あと、本当に大切なら、四六時中確かめていちいち確認なくても、ずっと存在し続けてるんやな、離れててもずっと心の中にあったんやな、ってわかった。
これは人とのつながりに関して。
ほんで執着ってしんどいな。
誰かに執着して嫌いで居続けるためには、そのひとを好きでいる必要がある。
好きだからこそ傷付いて腹が立つし執着するのであって、どうでもよくなれば楽になれる。
そこに囚われていた時は、どんなに踠いても前に進めなくて、苦しかった。
割と転機になったのは、水島広子とか片田珠実とか精神科の先生の本を読んだこと。哲学者のセネカが「怒りとは不正に対して復讐することへの欲望だ」とか「怒りは己に対する過大評価から生じる」とか言ってたのを全部書き写した。チューブラーロスの「死ぬ瞬間」というやつも読んで癌患者が死をうけいれるまでの工程を自分の怒りにあてはめたりもした。そうして、少しずつ自分の執着を見つめ、怒りは感情やねんけど執着って感情なのかな?という疑問にぶち当たった。
結論として、執着は感情に似てるけど感情は一瞬で沸き上がるのに対して、執着は怒りとか哀しみとか、時には喜や楽の記憶までが塊になって心にこびりついたものなんやろなって。
汚れって、その場ですぐに落としたら綺麗になるけど、こびりついたらなかなか取れへんやんそれと一緒。執着も、取り除くのに難儀したわ。
明日は朝から娘の高校入試個別相談で大阪の私学へ。
そして明後日は初めてのG1レース出勤。すごくドキドキする、楽しみ。
私たちは馬主役員さんや来賓以外に、JRAの裁決員という人たちを運ぶエレベータでも操作業務を行ってるんやけど、このエレベーターがどれよりも責任重大。
この人らが、建物の6階で一生懸命お馬さん走るの見てて、そんでどれが勝ち馬かを決める。決めたら速やかに全員で1階へ移動。このときエレベーターが6階にいなかったらどうなるか。えらいこっちゃ。ちゃんと待機しとかんとあかん。莫大な金額が毎回動くレースで、重責を担う皆さんは、一刻も早く「全員で」一階へ移動しなければいけないんです、大変。せやから私達は、このエレベーターにのったら、常にファンファーレの音に耳を澄ませる。
https://youtu.be/ch0tNGGgs-4?si=7dG-fWJZu9mYQdZF
ファンファーレが鳴った!となると、他の階にいても6階へ移動して、エレベーター操作パネルの「戸留め」ボタンを押す。こうしてる間はドアが開けっぱなしで停止している。そして裁決員の皆様が戻りそうな頃合いで戸留めを解除し、予め一階を押して全員乗り込むのを確かめて速やかに移動する…というのをレース毎に何度も繰り返すんです。ファンファーレの他に「確定音」があって、これが鳴ると今度は一階待機、でも戸留め無し。エレベーターガールも、実はなかなか緊張するお仕事なわけです。
それにしてもファンファーレ、良いですよね、大好き。やっぱりすぎやまこういちさんやなあと思うし、とはいえ、なんやかんやで阪神京都のファンファーレが一番気分あがる。今度の日曜日、G1ファンファーレが聴けるのが本当に楽しみ。執着を全て消し去るような、威勢の良い旋律と人々の歓声に身を委ねよう。