以下の内容はhttps://mikimiyamiki.hatenablog.comより取得しました。


自己紹介します

多分過去一番読まれたのはこれです。

mikimiyamiki.hatenablog.com

自由ポータルでも、えらい褒めてもろて、めちゃくちゃ嬉しかったです。

 

きれいなミミズ・おじさんと私・日本一長い路線バス~自由ポータルZ :: デイリーポータルZ https://share.google/dsw1ZjAPE6QKzBU1U

 

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あと、これ。老いた親と犬の話↓

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

 

自分の産んだ子、だけでなく広義の意味で子育てというものについて書きました↓

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

自分が書いたものの中で一番すきかもしれない↓

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

昨日たくさんのかたに読者登録いただいたので、自己紹介してみました。

ちなみにツイッターアカウントはこれです。

https://x.com/paruchi11?s=20

 

ちなみにちなみに。

嬉しくて泣いてしまった

 

人生が決まるらしい

2月10日。阪神地域の私立高校一斉入試日である今朝は、娘と一緒に家を出た。高校生になるのか、娘が。このまえツイッター相互のぜつさんと話してたんやけど小中学生の時まではまだ、わかるのよ、わかったの、我が子って。でも高校生って、急になんかこっち来た!?ってビックリしてしまって信じられない。こっち側やん、子供ちゃうやん、て。それも一足飛びで来た感覚。

 

そんで受験会場へ向かう娘を玄関で見送る……キットカットとかカロリーメイトとか早めのパブロンとかそういうCMで見たようなあれ、あの感じをやりたかった気持ちもあったけど、今日は通勤を同じ時間に合わせて駅まで着いていくことにした。

思えば高校受験のために通っていた週2回の塾も、私はずっと、どんなに仕事が忙しい時も一緒に行って、帰ってきた。それは送迎と言うよりも、一緒に行って・帰るだけというほうが近いような気がして、なぜならペーパードライバーで今では自転車すら乗らなくなった私が送迎するのだから、当然徒歩でトコトコ一緒に歩くだけなので、娘にとっては物理的には何の足しにもなってないのだ。

それでも毎回塾へ一緒に行き、終わる頃にはまた外の小さな神社のベンチに座って娘の帰りを待った。暑い日も寒い日も。

神社には猫がいて、時々私と一緒に娘を待ってくれていた。

いつもいろんな話をしながら二人で歩いた。口を聞いてくれなかった日も2回あった。

 

今朝は、昨日まで道の端に残っていた雪もすっかり溶けて、太陽の光が輝いていた。日曜はすごい雪だった。

 

 

見慣れた町が白くなるのはちょっとテンションが上がったけれど、入試当日がこの天気ではなくてよかったと思う。

 

最寄駅に着くと、すでに大勢の中学生と各学校の教師が点呼をとっていた。この駅は私鉄とJRが繋がっており、またターミナルでもあり各4路線が行き交うので、同じ市内だけでなく近隣の市・大阪府からも多くの受験生が乗り換えに利用する。

いったん改札で娘と別れた私は自分の勤務先にいく電車に乗り込んだものの、また降りて、向かいのホームに移動し、再度娘を見送ることにした。同じ学校の子と談笑する娘を見て少し安心した。

 

塾の先生は「高校受験で人生が決まる。⚪︎⚪︎高校(県有数の公立進学校)に行けないと人生終わるで」などという。そういう商売なのだから仕方ないのだけど、高校入試ぐらいで人生のなにも決まるはずがないことは私が、というか氷河期世代が、よーく知っている。

 

氷河期世代。一体何人……何万人の優秀な人たちが屍になっただろう、高学歴が何の助けになっただろう。人生がきまる?鼻で笑いたくなる。

高校入試で決まるのは高校だけだ。44年生きてきたからそれぐらいわかる。あんなもんは人生の岐路なんかではなかった。岐路、ではなく、しかし通過点で節目の一つだった。

自分の人生には間違いなく岐路もあり、そして「人生が決まる」という出来事もあったと思う。それらは、どの道を選んだかというより「誰と出会ったか」に起因するところが大きかった。

バンダイの人生ゲーム、私はボード版のあれをやるのがとても好きだった。子供の頃なんて、人生ゲームが好きすぎて、実家には2種類の人生ゲームがあったほどだ。あのゲームにも、何個かの分かれ道や選択に迫られる場面がある。しれっと過ぎ去っていくコマもある。高校受験、なんて、サーっと流れるようなコマの一つにすぎない。そして本当の人生と異なるのは、複数のプレーヤーが一つのボードでコマを進めるのではなく、それぞれが皆各々のボードを持っており、それらが出会うと道が分岐する、というようなイメージ。だから、娘にはどこの高校に通うにしても、大切な出会いがあってほしいな…

そんなことを考えていたら、試験開始5分前。今まさにこの同時刻、緊張しながら慣れない学校の椅子に座って答案用紙を見つめているであろう我が子の姿を想像すると、泣きそうになってしまった。今日の通過点、節目の一つが、無事に済みますように。ゴールなんて、いつになるやら誰にもわからない。

 

ここ最近のこと

昨年11月末の土日から12月の最終レース27,28日(ついに有馬記念!)、そして年始の京都金杯にかけて、毎週連続競馬場に出勤した。もちろんその間も平日はデザインの仕事をしているわけで、先月は丸一日休んだのは3日間だけだった。こんなスケジュールなので、クリスマスもお正月も大したご飯は作るつもりはなかったのだが、気がつけばクリスマスにはチキンを焼き、手を抜くために作ったビーフシチューを翌日はポットパイにし、同じ生地でアップルパイもこしらえた。また、正月は結婚してから正月用に毎年作っているのが、炒り鶏と鱠、きんとん。これだけはどんなに忙しくても結局作ってしまった。毎年今年はもう作らないぞ!とか思ってるのに夫と娘が「アレ食べたい。今年も楽しみやな」とかクリスマスを過ぎた辺りから言い始めて、なんやかんや私も準備してしまう。家族の新年にとっての欠かせない味、そういう、献立を越えたひとつの概念というかこの家の「恒例」を確立してしまったことが、面倒でもあり、幸せでもあると思った。今年も、そしてこの先の年末も、面倒だとぶつぶつ言いながら私はまた同じものを作っているんだろう。
では普段の夕飯はどうかというと野菜を多く使う献立中心。まず、鶏胸肉を煮込んで火を通す。煮汁は捨てずにトマトジュースと合わせてスープに。茹でた鶏肉は繊維に沿って裂いてレタスなどと和える。ドレッシングはマスタードとはちみつ、絞った生レモンなどを使った手作り。あとは最近は人参のローストにハマっている。これもマスタード系の味付けで、人参をグリルで焼くだけなのにとても美味しい。あとは正月の鱠を再利用し、生ハムなどを混ぜてアレンジしたり。

 

ともかく、12月は慌ただしかった。

とてもしんどい出来事もあった。

私の中ではその人のことを思って発した言葉で「マウントをとるな」と怒られた。確かに言われてみるとそのように受け取られても仕方ないことを私はしたのだ。

今まで自分という人間は思慮深く、他人の気持ちを考えて動いてると思っていたけれどそうではなかった。良い人ぶるな、とも言われたし、それもその通りだった。それらの出来事から、昨年私はフェイスブックツイッター、色々なアカウントを消した。自分の名を冠して今後何か発信するのは憚られると思った。今のところアカウント2つは残しているが、これももう消えても良いかなと思っている。

子供の頃、風船に手紙をつけて飛ばしたり、ボトルレターを海に流したことがある。どこかの見知らぬ誰かと繋がる、届くのかもわからないけれど…それがとても不思議でワクワクすることのように思えた。今もエックスでとりとめのないポストをする時の気持ちは、あの時、空に赤い風船を放った時のそれに似ていると思う。そして時々嬉しい言葉を返して貰えたとき、見知らぬ誰かに私の想いを込めた小瓶が届いていたことを確認出来たみたいで、幸せな気持ちになる。

特にオープンにしているアカウントのほうは、消そうと思ったタイミングで、商品を購入してくださったかたからのメッセージが不意に届いたりするので、そのメッセージや引用ポストにどれほど救われているか…というのもあり、消さずに踏みとどまっている。

 

また、先述したアカウントを消したからと言ってひどく落ち込んでいるとかそういうことはなく、むしろ清々しい気持ちだし、書きたいことがあればここに書けばいい。空に放つ風船も飛ばしすぎたらゴミになる。

それに、会ったこともない画面の向こうの人間の顔色や反応を気にして言葉を書くようになってしまったら、もうそれはオシマイな気がする。

 

11月再会した友人にも話したのだけど、昔の私は料理だけでなく編み物や刺繍など、時間がいくらあっても足りないぐらいやりたいことで溢れていた。

自分と世界を繋ぐ要素が沢山あった。

けれどいつのまにかそれらを手離し「他人からの承認」だけにのめり込んでいった。他の人間からの評価や、権威のある賞をとったとかそんな後ろ楯がなければ、自分の心の穴を埋められなくなっていた。

それは、誰かが救い出してくれるというものでもなく、自分で気が付かないと抜け出すことの出来ない闇の中だった。

そこから這い出たのは自分が努力したからとかそんな立派なものではなく、あまりにも苦しかったから、ただそれだけである。

人からの評価のみに縋って生きるのは、私にはキツすぎた、無理、ただそれだけ。良いとか悪いではなく、もうこんなのやってられない、と思ったのだ。賢くスマートに生きられるようになったわけではない。瀕死で、ボロボロになって、尻尾を巻いて逃げてきた。

 

ただ本業がデザイナーであり、自分の作ったものを評価されて生活費を稼いでいる以上、やはり私は他人からの好意的な反応に関してはとても嬉しいと思ってしまう。それは間違ってはいないと思うし、実際私の作ったものを喜んでくれる人はいる。今まで何度「ありがとう」と言っていただけたことだろう。そのことは本当に幸せやと思うし、そこへの矜持は捨てず、同時に、他者からの評価に依存しないことは、両立するのである。

 

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それにしても有馬記念のレーシングプログラム、かっこよかったな。レーシングプログラム、通称レープロ、出走表。これ普段はモノクロなんです。で、競馬場開催期間(※開催期間というのは競馬場で馬が走ってる期間です。競馬場って年がら年中馬が居るわけではないんですな~私も働いて初めて知りました)はレープロの表紙はカラーになるんですが、有馬記念は更に特別なデザインになるのです。かっこいい。紅白歌合戦の、玉置浩二ファンファーレも非常に良かった。リズムがね、馬が走ってる時のそれみたいで。あと何よりファンファーレってタイトルがもう「わかってるなあ」と思った。私も競馬場の何が好きって、ファンファーレなんです。

JRA公式の有馬記念動画も素晴らしかったし、別の機会に従業員から見た有馬記念についても書こうと思っています。

 

有馬記念といえば、昨年は競馬好きの友人が入院し、彼とは一緒にジュベナイルフィリーズを観戦したりしたこともあり、私が阪神で働くことになったときも真っ先に報告したりしたんやけど、病気になった人にはどんな言葉をかけたら良いのかわからなくて…。それで、年末はお手紙と有馬記念のレープロを送ったりしました。ちなみに彼の有馬の戦績は、3連複的中とのことで、見事すぎる。あの3連複当てたのは凄すぎるでしょう、幸先が良い。きっと術後の回復も、うまくいくはずだと信じています。後半私信になっちゃった。

 

 

執着は感情なのか?

この時期は、今年買って良かったものエントリーが話題になる頃だが、私が今年「手離して良かったもの」を挙げるとしたらそれは、怒りと執着である。

 

私にはずっと目指していた新人賞があって、もう10数年挑戦してて、それがまた去年もだめで、でも毎回箸にも棒にもかからないのなら諦めつくのに一次審査が通ったり過去には二次も通過しちゃったりで変に希望持ってしまう結果も残してるからなかなか諦められなくて、それでもまた去年は一次すらダメで、ほんまに悲しくていじけて腹立ってもう小説なんか知るかボケ!文化的な活動一切やらへん、これからは肉体労働じゃい!!って3つも仕事して、ふと立ち止まると、ああやっぱりなんか書きたいし賞とかもうええかな、とおもてん。いやええことないんやけど、くれるんやったらほしいけど。

そら無理やで新人賞なんか、毎年たった一人しか選ばれへんのやもん。

そんなもん、「世界に一つだけの花」側じゃなくて「SMAP」側の人なんよ。

しょうもない花なんか誰でもなれるねんけど、スマップになるのは、神様から選ばれた人しか無理やねん。ほんで、そこになられへんかったとしても何ら落ち込むことはないわな、と、やっとわかったわ。好きに書くし好きに働くわ。

 

あと、本当に大切なら、四六時中確かめていちいち確認なくても、ずっと存在し続けてるんやな、離れててもずっと心の中にあったんやな、ってわかった。

これは人とのつながりに関して。

 

ほんで執着ってしんどいな。

誰かに執着して嫌いで居続けるためには、そのひとを好きでいる必要がある。

好きだからこそ傷付いて腹が立つし執着するのであって、どうでもよくなれば楽になれる。

 

そこに囚われていた時は、どんなに踠いても前に進めなくて、苦しかった。

割と転機になったのは、水島広子とか片田珠実とか精神科の先生の本を読んだこと。哲学者のセネカが「怒りとは不正に対して復讐することへの欲望だ」とか「怒りは己に対する過大評価から生じる」とか言ってたのを全部書き写した。チューブラーロスの「死ぬ瞬間」というやつも読んで癌患者が死をうけいれるまでの工程を自分の怒りにあてはめたりもした。そうして、少しずつ自分の執着を見つめ、怒りは感情やねんけど執着って感情なのかな?という疑問にぶち当たった。

結論として、執着は感情に似てるけど感情は一瞬で沸き上がるのに対して、執着は怒りとか哀しみとか、時には喜や楽の記憶までが塊になって心にこびりついたものなんやろなって。

汚れって、その場ですぐに落としたら綺麗になるけど、こびりついたらなかなか取れへんやんそれと一緒。執着も、取り除くのに難儀したわ。

 

明日は朝から娘の高校入試個別相談で大阪の私学へ。

そして明後日は初めてのG1レース出勤。すごくドキドキする、楽しみ。

 

私たちは馬主役員さんや来賓以外に、JRAの裁決員という人たちを運ぶエレベータでも操作業務を行ってるんやけど、このエレベーターがどれよりも責任重大。

www.jra.go.jp

この人らが、建物の6階で一生懸命お馬さん走るの見てて、そんでどれが勝ち馬かを決める。決めたら速やかに全員で1階へ移動。このときエレベーターが6階にいなかったらどうなるか。えらいこっちゃ。ちゃんと待機しとかんとあかん。莫大な金額が毎回動くレースで、重責を担う皆さんは、一刻も早く「全員で」一階へ移動しなければいけないんです、大変。せやから私達は、このエレベーターにのったら、常にファンファーレの音に耳を澄ませる。

https://youtu.be/ch0tNGGgs-4?si=7dG-fWJZu9mYQdZF

 

ファンファーレが鳴った!となると、他の階にいても6階へ移動して、エレベーター操作パネルの「戸留め」ボタンを押す。こうしてる間はドアが開けっぱなしで停止している。そして裁決員の皆様が戻りそうな頃合いで戸留めを解除し、予め一階を押して全員乗り込むのを確かめて速やかに移動する…というのをレース毎に何度も繰り返すんです。ファンファーレの他に「確定音」があって、これが鳴ると今度は一階待機、でも戸留め無し。エレベーターガールも、実はなかなか緊張するお仕事なわけです。

 

それにしてもファンファーレ、良いですよね、大好き。やっぱりすぎやまこういちさんやなあと思うし、とはいえ、なんやかんやで阪神京都のファンファーレが一番気分あがる。今度の日曜日、G1ファンファーレが聴けるのが本当に楽しみ。執着を全て消し去るような、威勢の良い旋律と人々の歓声に身を委ねよう。

 

感情の星

先日、友人が私のことを占ってくれた。

ホロスコープという、星占いのさらに詳しい版みたいなやつ。天体、12星座、ハウスとかいう星の部屋の要素で各配置関係を読み解く。

 

ものすごく詳細に長文で読み解いてくれたことをものすごくざっくり要約すると私は「感情のひと」なのだというのがわかった。わかったというかそうだよなあ、という感じだった。

 

占いって基本この「そうだよなあ」感を得たくてやってる(やってもらう)気もするしだからこそ誰にでもあてはまる当たり障りのないことばっかり書いてるんやろとか思うものも中にはあるのだけど、試しにその友人のホロスコープも見たら全然私と違う相が出てたから、この「誰にでもあてはまるんちゃうの」って事柄自体が実は誰にでも当てはまってないのかもしれないとも思った。

 

で、私は感情で生きる人やねんて。

これ、占いしてもらう前にも何度か前回の日記で書いた悪口きかせまくってる友人にも言われたことがあり、仕事のことで落ち込んでいた私に「きみは起きたことと感情を切り離した方がいいよ」とか言われてた。とにかく理屈より感情優先やねん。

 

ほんで自分がそれやからこそ他人の感情にも敏感なんやろな。誰も気づいてない他人の本音みたいなものを過剰に察知しすぎて、いらん負担を感じることが多い。

 

と同時に、大勢の人が楽しそうにしている賑やかな場所、浮かれた人達の人混み…結構これ嫌いな人もおるとおもうけど私は結構好きなの、他人の「喜と楽」をアンテナで受信してるんかなと。

 

例えば今の仕事場のひとつ、競馬場。

開催中(競馬場には馬が走ってる“開催時期”と、馬がいない“パークウィンズ”の時期がある)の場内は活気があってとても楽しい。

重賞があると来場者が多くてとても大変だけど、気分が高揚するし、わくわくする。何より走る馬は美しい。でもとても疲れる。

 

これって大勢の人の高ぶる感情の波に自分を置いてるからなのかなって思った。特に私は馬主と来賓に関するエリアの仕事メインなので、馬券をスって泣いてるおっちゃん側より、ロイヤルファミリーで言うところの佐藤浩一側の人たちと同じ空間にいる時間が長いので、そうなると彼らはもう、1日でとんでもない賞金を手にしていたりするもんだから、ラッキーどころの騒ぎではなく。

そこに渦巻く感情のパワーって、とてつもないよなあと思う。

 

あとは、私には創作の才能があるとかでこれはメインでやってるデザインの仕事が向いてるってことなんやろな。デザインなあ、今月いそがしすぎるわ。

私、先週の日曜京都競馬場で受付してて、今週デザインが月から金曜のあいだに4つも初校提出あって、そんで明日阪神競馬場の開催初日で朝事務所に745分集合なんやて、もう頭が働かへん、もちろん京都競馬場の前の週の平日も働いてるしもういま何連勤なのか簡単な算数をすることさえできへん。初校出したら来週バックされるからまた休まれへんし、これでもまだ競馬場の仕事楽しいって言ってられるかな、12月は働き始めて初のG1あるねん、14日まで毎週シフト入れてしもた、一時の「感情」でこんなスケジュールにしてるのおもろい。

でもあのファンファーレ、好きやなあ。関西だけじゃなくて中山とか福島とか新潟、各地のファンファーレ、G1メインテーマ、全部好きでデザインの仕事の時も実はイヤホンで競馬音を聴いてるぐらい好き。ファンファーレ、高まるのよ…。

来年は午年やし、なんか縁起も良さそう。明日も早起きしてがんばろ。

↓私のホロスコープ(上昇宮魚座の太陽蠍座、月蟹座)でAIにイメージする人物を描かせたらこれが出てきた。うわあ、実物と同じだ~

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すこしも寒くないわ

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少し前にこの文章が話題になっていた。

https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb
 
Xでも、引用で様々な意見が飛び交っていた。あまり見ないようにした。
腹が立ったから。
 
子供の障害を愚痴っていたから?そんな覚悟で子供うむなって?
違う、ちがう!
 
私が腸煮えくりかえったのは、子供を育てたことすらない「育てられたことしかない側」の人間の、いつまで経っても育てられる者としての立場にすがる甘ったれた考え方。自分の親に言うべきことを、藁人形に見立てた生身の人間に向けるその幼稚さ。子供のいない人はすべての子育てに物申すな等とは勿論言わない。だけどせめてこのような真剣に悩む母親に、暴言を吐くことだけはやめてほしいのだ。
 
この投稿について敢えて私はXなどで触れないようにしていたら、友達がこの記事を共有してきた。
そして私は、即座にこう返信した。
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このお母さんの不安は私にはわかる、わかるがゆえに、私は実感を込めて、すこし先の未来から「大丈夫だよ」と言えるのだ。
 
私自身、子育ては常に不安の連続、常に後ろを向き、後悔し、娘に対してこんな母親でごめんとか、私の育て方は正解なのかとか、マイナスのことばかり考えてここまできた。
 
ただ私は、常に子供をこれ以上ないほど愛し、一番何より大切であるという姿勢とそれを伝えることだけは怠らなかった。
怠らない、っていうかそんな「意思」でどうこうできるものではなく、ひたすら愛して愛おしくてだいしゅき、ぎゃんカワユイし天使、まじ天才!って今も本心から思ってそれを伝えるなと言われても毎日伝えずにはいられないのでそれだけは浴びせ続けてきただけなのだけど。だって無理だよこんなに愛してること伝えないなんて、無理無理。超絶愛してるもん。
 
それで話をこのお母さんに戻すが、愛してるんだからこそ、この人こうやって真剣に悩んでるし、でもきっとこの先子供と一緒に悩みながら、その子なりの人生の幸せをきっと見つけることができると思ったんよ。誰かと比べて不安になって泣いた夜を何度も経験して、今私受験生のお母さんになって、状況的に泡吹いて倒れそうなぐらい不安であってもおkしくないのに、いま不思議なくらい心が安定してるから。友達に、間髪入れず、前向きな返事を返せたのがその証拠。
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そしてそれはこの友達にも言われた。
この友達には、もう何年も子育ての苦しさを赤裸々に吐露してきた。外で言えないような本音もばんばん話してきた。LINEも知ってるけどエックスのDMでやりとりすることが多いのは、仕事中にパソコン画面上で話せるから。
あと余談だけど子育て以外にXのポストでむかついたこととかこいつアホやろとか身近な人の悪口まですぐに共有するから、私の性格の悪さを一番知ってる人。子育ての先輩でもあるし、うちよりもお金持ちなので気兼ねなく我が家の財政状況も話せる。人によっては家計や資産の話はこちらの自慢のようにもなってしまうから。
もうここまで色々聞かせて、よく仲良くしてくれてるなあと思う。私が辛い時は、お酒とか送ってくれた。香水も、ありがとう。大切すぎて使えてないけど。これ言うと勿体ないから使えよっていつも言われる。
 
今日読んだ別の人のノートで、人生の岐路でその都度適正クエストを選べることが、本当に幸せに生きてるって状態で、それは直感であり、だけどその直感は当てずっぽうの運頼りってわけじゃなくてその人のそれまでの生き方が作用してる…というような話が書かれてた。解釈違ってたらごめんなさい。でもこれ読んで、私も他人と比べたり世間一般の物差しで良いとされる進路に娘が進むことよりも、娘にとっての最適な道を歩んでほしいと心から願っていた自分を再認識した。
さて、来週は三者面談である。自分の高校受験のことは、いまだに鮮明に覚えてる。まだ私の心の中に中三の私がいる。それなのに、わたし、いま受験生の女の子のママだなんて。
 
今年の夏から秋にかけては、毎週のように娘と高校見学に出掛けた。今月も個別入試説明会にいく。塾は、一度も欠かさず送迎をしている。どんなに忙しくても塾の日は早退してる。ずっとそばであの子の頑張りを見守ってきた。だからもうこの子はきっと大丈夫って思えるようになったのだ。…うそ、不安もある。でも前みたいな闇雲なネガティブではない。
冒頭の悩めるお母さんはかつての私のようだ。詳しくは書かないが、うちも児童精神科に通って数年になる。でもきっと自分が思う正確だけではない、我が子の幸せが実感を伴って見えてくる時がある。
うちの子は、人に比べていろんなことが要領よく出来ないことが多い。
 
でもこの子は、全然卑屈にならないし、逆に自分を大きく見せようともしない。このことがどれだけ凄いか、私にはわかる。
 
そしてそれは、私(と夫)が、あなたが一番大切だよ愛してるよって育ててきたからだと思う。「自分がそのままで愛されてる」ことに揺るぎない自信を持っている子の強さ、年齢が上がるにつれてわかってきた気がする。勿論それだけでは乗り越えられないハードルもあるだろう、そのときに無理せず、他者の視線にも惑わされずにいられる精神は、きっと支えになると思った。
タイトルは、「ありの~ままの~♪」から。ちなみに今日は寒いよ、すごい寒い笑
 

イライライラレ

今朝、会社に着いてからいつものようにIllustratorを立ち上げると、なんかこう、おかしかった。立ち上がりから、変だった。そうしてなんとかファイルを開いたが、画面が真っ暗。どのファイルを開いても、真っ暗。カーソルを動かすと、なんとか画面にデザインが出るんやけど、それも選択すら出来ないし、とにかく全ての動作が明らかにおかしい。

パソコン壊れたか?イラレのバージョン2025は以前から評判悪いしそれか?とか、今日締め切りの案件があるので心臓ばくばくしてきて、あれこれ再起動などしてみるが治らず。そんでツイッターを見たら、ちらほらAdobeユーザーの「不具合では?」という声が。これでちょっと安心したというか、うちのパソコンだけじゃないんや、というのがわかって、うーんだったらもう今日仕事できなくない?って思って。時間を追うごとに増えるAdobeユーザーの阿鼻叫喚ポスト。うん、帰ろう。今日風邪気味だったし。

そうして、早めに帰宅してからちょっと昼寝して、晩御飯にカボチャのグラタンと、鶏肉で出汁をとって端物野菜を入れたスープ、はるさめサラダを作った。

夕方帰ってきた娘が、音楽の授業で聴いたというベルリンフィルハーモニーのボレロをサブスクで流しながら「最初の小太鼓の音が笑えるぐらい小さい」って言ってて、確かにそうやなと思った。




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