
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、
シャロン・テート事件を知らずに観ても雰囲気は楽しめる。
だが、この事件を知った瞬間、映画の意味は完全に変わる。
本作は単なる群像劇でも、ノスタルジー映画でもない。
これは、映画が一度だけ“現実を書き換えることを許された物語”だ。
- シャロン・テート事件とは何だったのか
- この映画は「観客が事件を知っている」ことを前提にしている
- なぜシャロン・テートは“何もしない”のか
- リック・ダルトンとクリフ・ブースが象徴するもの
- クライマックスで起きる“史実の裏切り”
- タイトルが示す、この映画の正体
- なぜこの映画は、こんなにも“優しい”のか
- 結論
シャロン・テート事件とは何だったのか
1969年8月、ロサンゼルス。
ハリウッドの高級住宅地にあった一軒家で、後に「シャロン・テート事件」と呼ばれる凶悪事件が起きた。
その家に住んでいたのは女優シャロン・テート。
当時26歳、妊娠8か月。夫は映画監督ロマン・ポランスキーだった。
その夜、彼女と友人たちは、
チャールズ・マンソンが率いたカルト集団の信奉者たちによって惨殺される。
動機は曖昧で、思想も歪み、意味不明な暴力だった。
この事件は単なる有名人殺害事件ではなく、
・60年代の楽観
・ハリウッドの無邪気さ
・「夢は安全だ」という幻想
それらが完全に壊れた瞬間として、アメリカ社会に記憶されている。
この映画は「観客が事件を知っている」ことを前提にしている
本作は、
シャロン・テート事件を知っている観客の罪悪感と緊張感を利用して作られている。
シャロンが暮らす家
街を歩く姿
日常の何気ないカット
それらすべてが、
「いずれ、あの夜が来る」
という予感と共に映し出される。
映画の不穏さは演出ではなく、
観客の知識そのものから生まれている。
なぜシャロン・テートは“何もしない”のか
シャロン・テートは、ほとんど物語を動かさない。
買い物をし
街を歩き
映画館で自分の出演作を観て笑う
それだけだ。
彼女には大きな葛藤も、ドラマも与えられない。
なぜなら彼女は、
**キャラクターではなく「奪われた未来の象徴」**だからだ。
観客は史実を知っているがゆえに、
彼女の平穏な日常を「失われるもの」として見てしまう。
この描写は、美しく、同時に残酷だ。
リック・ダルトンとクリフ・ブースが象徴するもの
一方で描かれるのが、
落ち目の俳優リック・ダルトンと、相棒のスタントマン、クリフ・ブース。
彼らは架空の人物だが、
当時のハリウッドには確実に存在したタイプの人間だ。
・テレビ西部劇で成功したが、時代に取り残された俳優
・裏方として生き、過去に問題を抱えた男
シャロン・テートが「これから来る未来」なら、
彼らは「終わりゆく過去」を背負っている。
この映画は、
未来と過去が同じ街ですれ違う物語でもある。
クライマックスで起きる“史実の裏切り”
映画の終盤、
本来起きるはずだった惨劇は起きない。
代わりに描かれるのは、
過剰で、バカバカしく、現実離れした暴力だ。
ここで重要なのは、
これは復讐でも、正義の勝利でもないということ。
タランティーノがやっているのは、
映画という虚構で、現実の悲劇を上書きする行為
だ。
タイトルが示す、この映画の正体
Once Upon a Time in Hollywood
= 昔々、ハリウッドではね……
これは史実映画ではない。
ドキュメンタリーでもない。
最初から「おとぎ話」だと宣言された映画だ。
もし、あの夜がなかったら。
もし、映画が間に合っていたら。
そんなあり得ない願いを、
映画という嘘の力で叶えた作品。
なぜこの映画は、こんなにも“優しい”のか
現実では救われなかった人を、
映画の中だけでも救う。
それは歴史の否定ではない。
むしろ、
それほどまでに、この時代と人々を愛している
というタランティーノの感情そのものだ。
だからこの映画は、
凄惨な事件を扱っているにもかかわらず、
不思議なほど温かい。
結論
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、
・シャロン・テート事件への鎮魂
・映画という虚構が持つ、最後の魔法
その両方を描いた作品だ。
事件を知らずに観る映画ではない。
知ったうえで初めて、意味が完成する映画である。
以上。
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