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「バルバロ」と不規則な人間関係の中で生きること関連

 バルバロは風俗店で働いている女性を中心としたお話です。このお話が何を描いていると思うかというと、人間関係だと思います。

 

 人間と人間が存在すると、その間に関係が生まれます。でも、人間はそれぞれ違うので、そこの関係には摩擦が含まれます。人間と人間の違う部分がこすれ合って気になるということです。その場合、関係の摩擦は、どちらか、あるいは両方の人間を摩擦が少なくなるように変えてしまったりします。そして、そのような形で変わるのが嫌な場合は、人間は関係を解消してしまったりもします。

 バルバロのお話の中心にいる3人の女性は、それぞれ人間関係に問題を抱えています。

 

 まゆみちゃんは、明るく元気に見えるお店では人気の女性です。しかし、彼女はかつての母親との不均衡な関係から、人間と密な関係になることが不得手です。まゆみちゃんと母親の摩擦は、まゆみちゃんが変わることによって減らされるタイプのものでした。つまり、まゆみちゃんは常に母親の状態を気にしながら、摩擦が生まれないように立ち回る必要を感じて育ってきました。

 それはまゆみちゃんの心に大きな影響を残してしまいます。

 まゆみちゃんの結婚相手の孝志くんは陰気なメンズで、陰気なメンズは、相手を観察して「こう思っているのかもしれない…」と想像はしても、直接確認することが不得手です。一人で何かを思いがちです。まゆみちゃんの心はときに不安定ですが、しかし、孝志くんはなぜそうなのかを上手く想像することができません。その結果、孝志くんは、一緒に暮らす人が何を考えているのかを常に想像しないといけなくなってしまい、かつてのまゆみちゃんのように、疲れ果ててしまいます。

 離婚調停中の2人の関係は比較的落ち着いているように見えます。それはそこに一定の距離があるからでしょう。距離があれば摩擦も少なくなり、問題も起こりにくくなりますが、果たしてそれは解決なのでしょうか?

 

 ちなっちゃんは、自分の持っている暴力性を持て余している人です。鑑別所を出てからは強めに反省をしているので、人を殴りたくなるのを必死で我慢して、運動で発散させようとしたりなどしています。ちなっちゃんは、殴られるのが好きな風俗店の客と独特の関係を構築したりしています。

 大学院卒の客と少年院卒のちなっちゃんが、ともに院卒やんという共通点から、不思議な人間関係をやっているところはとても面白いです。ちなっちゃんの暴力性はどうにもならないですが、どうにもならないことが世の中では問題になるので、どうにかしようと頑張っています。

 

 シヲちゃんは、ダウナーな人で、元夫が刑務所に入っています。押しが弱そうで受け身そうな雰囲気であるため、面倒な客がついたりしがちですが、たまにイラついたりしながらも飄々とした雰囲気で働いています。

 シヲちゃんも色々思っているようですが、他人に対してそんなに積極的ではないため、あんまり人間関係はなさそうです。しかしながら、風俗店という場があることで、そこにいる人たちとは上手くやっているように見えています。

 

 3人は人間関係があまり上手くいっていません。特に他人と密な人間関係をやることに失敗しているように思えます。しかしながら、彼女たちにとっては風俗店という場所が、居心地がよくあるように見えます。

 それは、人間同士が性を媒介として身体的に密に繋がる場所とも思えるものの、その場その時だけ上手くやればいいという限定的な場所で、精神的な繋がりが疎であるということと関係しているのではないかと思えます。

 「今この場所だけ」なら上手く乗り切れても、「密な状態で継続的に一緒にいる」ということが不得手で、そういう人間関係を上手く作れないという問題がここにあると思うんですよね。僕がバルバロ読みながらそう思うのは、僕自身がそういった感覚を持って生きていることと関係しているからです。

 

 僕は大家族の長男として育ってきたので、基本的にあらゆる自分の欲求は「我慢すべきもの」として捉えていました。なぜなら、家にいる色んな人が自分の主張をするため、その場で起こる摩擦を少なくして上手くまとめるためには、自分を摩擦を起こさないように変えることが一番手っ取り早いことだからです。

 小さな話では、弟妹とテレビを見ているときにお風呂の順番が来たら、テレビを見たい弟妹たちを風呂に行かせるより、自分が見ている途中のテレビを諦めて先に入ってくる方が摩擦が少ないです。

 大きな話では、自分は大学進学をしたいが、それをすると弟妹たちの進学する余裕が家庭からなくなるかもしれなかったときには、自分がさっさと稼ぐようになってその余裕を自力で作れば摩擦が少なく進学できると思ったりなどです。

 

 家族を含めて、人との間に摩擦が生まれにくいように立ち回ることが僕の根本にあり、そのせいで僕の生き方には、密な人間関係を避ける傾向が出てくるようになりました。なぜなら、密な人間関係の中で自分を常に曲げ続けることはそれなりに辛かったりするからです。人間関係が疎であれば、頻度も強度もコントロール可能な範囲になるので、楽になります。そのような形で、友達は多くいますが、誰とも緊密になりすぎないように、一定の距離をとった上でフラフラしているのが僕の生き方となっています。

 それは人間と密であるということから逃げ続けている話でもあります。なので、このままでいいのかなあと悩んだりもしているんですよね。だからバルバロを読んでいて、分かるなあと思うことが多いです。

 

 バルバロには色んな人間関係が出てきます。密なものも疎なものも、瞬間的なものも持続的なものも、そして、それらが変化をするときも。バルバロを読んでいて心地よく感じるのは、このお話の中では「自分を変えずに相手を変えさせた」というような摩擦の解消方法には至らない関係が多く描かれているところだと思います。

 生きていれば色んなところとぶつかって摩擦を生みます。自分を変えずに相手を変えさせることが成功として描かれないのは、自分が相手に変えさせられて続けたことを良しと思わないことと繋がっているようにも思います。

 

 だから、バルバロにおける人と人の関係は、目的があってまっすぐ進むようなものではなく、ブラウン運動のようなものになります。ブラウン運動とは、微粒子がぶつかり合うことで不規則に動き回る物理現象です。人と人がぶつかっては互いに跳ね返るということです。バルバロは、その跳ね返り方の中で、いつか落ち着く場所が見つかることを祈るようなお話だと思っています。

 生きていると人と人との間に色んな摩擦があって、でも、その中でみんな生きていると思えるようなお話なので、そこが僕の好きなところです。

 

 温度と密度の高い場所では、不規則な運動が激しくなり過ぎる状態に困ってしまう彼女たちにとっては、温度も密度も緩い風俗店が落ち着ける居場所として機能しているように思えます。彼女たちが、いつか風俗店を出ていくのか、ずっとそこにいるのか、もしくは代わりになるものを見つけるのか、その運動の様子を、この先も読んでいこうと思っています。

 

 さて、本日、バルバロ3巻が出ました。オススメです。

 

 

 




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