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娘のエッセイ

夜遅く帰宅したときにまだ娘が起きていて「何してたの?」と聞くと「学校の課題でエッセイを書いた」と。

ダメ元で「読みたいなぁ〜」と聞いたらLINEでテキストを送ってくれました。

文章は語法、ワードの選択、論理性、ストーリーのどれをとっても全く違和感がありませんでした。主張も話しの筋も良くできていました。自分のエピソードも添えて個性も感じました。

本人に聞くとチャッピーを利用して自分の言いたいことに近づけたそうです。やはりとは思いましたが、当然だなとも思いました。使いこなしてナンボですし。

何の授業の課題かは聞いていないので分かりませんが、もし国語だとすると、どんな評価項目があるのか気になります。

このAIの時代にまさかAIなしで作文することは想定していないでしょう。そうなると何を目標とするか気になるのです。

これは別に先生に対して意地悪をいいたいわけではありません。

恐らくこの提出物を見た先生も「ああ、またAIか」と思いながら読むのでしょう。

そうなると先生は「私は何のためにこの課題を出しているのだろう?」と考え次の課題に生かされていくのだろうと思うのです。想像です。

ほんと悩ましいです。でも、もう避けられない現実ですから、教える側が教える内容に関して本質を再考して試行錯誤していかなければならないのだと思うのです。

エッセイもこれまでは一文字ずつ書いては消してと書き進めるしかなかったと思います。ボトムアップアプローチです。

AI支援が現実化した今。エッセイも構想段階からいきなり実体を生成できます。

AIとのエッセイを作る協調作業は恐らく以下のような感じでしょうか。想像です。

  • 課題文をみてイメージします。課題文をAIに与えてイメージすら考えてもらうこともできますね。
  • 「こんな感じならどんな風になるだろう?」と思ってAIにプロンプトを与えて作文してもらいます。
  • その文章を読者視点で読んでみて、自分のぼんやりしたイメージが言語化できているかを検証します。
  • 不足したり間違いがあればプロンプトを変更していきます。

これからのAIとの協調における創造プロセスはメタ創造になるということです。何かを創造するための創造プロセスになるということです。

その創造はAI前であれば自問自答によって得られたのですが、これからはAIがバディのように常にそばにいて支援してくれるでしょう。何時間でも何度でも文句を言わずに付き合ってくれます。

いかにそのAIに対して良質な指示(会話)ができるかで創造物の質が変わってきます。これもコミュニケーション能力と呼んでもいいのかもしれません。

要はプロンプトエンジニアリングでしょうか。今の若い世代はエンジニアリングという意識はなくもしかするとSNSなどで会話している人と同等に扱うのかもしれません。

ロボットやAIと協調する世界。

我々が長らく夢見た世界かもしれません。

どんな世界になるのでしょう。

今と変わらないもの、変わるもの、見ていきたいです。

■追記

電卓があっても我々は手計算できます。これって不思議だと思いませんか?これは教育がそういう方向を選択しているからだと思います。AIがもっと進化した時代でも作文もここまではやらせる、という判断があるのかもしれません。それも義務教育を受ければの話しですが。。。AIがカリキュラムを作りAIが教える時代もこないことはないと思います。それをやるかどうかの大人の判断なのだと思います。

■追記

学校教育で高めるべき資質はGeminiによると以下だそうです。

育成すべき資質・能力の3つの柱 - 知識及び技能(何を理解しているか、何ができるか) - 思考力、判断力、表現力等(理解していること・できることをどう使うか) - 学びに向かう力、人間性等(どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか)

その他の重要な能力

  • 言語能力
  • 情報活用能力
  • 問題発見・解決能力
  • 非認知能力

単純に、大学入試では実技試験を除いて、筆記試験で評価されるはずでして、東京大学を頂点としたピラミッド構造を成しているわけですね。こうした技能それぞれをいかに高め関連付けて応用・実践できるかが試されるわけです。

ただ、計算や記憶といった従来コンピュータが得意とされていた領域のみならず、AIのおかげで思考や判断や表現も支援が受けられるのが今だと思います。

これまでは生身の人間がもつ能力だけが評価されてきたわけですが、助言者としてのAIとともに何かを生み出す能力が社会で求められる成果を生み出す人材のあるべき姿(ですよね?)だ とすると、何を評価するべきなのか?もっというと高校までで何を学んでおくべきか?も変わってくるのかも知れません。

変わるべきだ、とはだけ思っているわけではありません。変わる必要がある部分ももしかしたらあるかも知れません、ということです。

ただ、文字を読み書きできるからこそプロンプトが作れるのでしょうし、AIとも会話して望む結果が得られるわけですから、そうした言語能力はAIなしでできるようにしておかなければならない、ということは基礎力としてはあるのだろうと思います。もちろん、AIだけと付き合うわけではありませんから、周りの人と協調するための能力や経験は身につけておく必要があるのでしょう。

そして(これで最後にしますが)、自問自答してきて改めてわかったことは 知らないことは指示できないし、例えAIが勝手に生成したとしてもそれを理解できない ということです。

AIが知っていることは我々が生み出してきた情報を学習しているわけですから(今後はAIが生成したものを学習しその結果、学習が破綻するとも言われていますが)、やはりAIの助言を得ながらとしても、AIが生み出したものを理解し評価できる程度の基礎力は必要なのだな、と思うのです。

それがこれからの新しい?社会人基礎力になるのでしょうか。そこをゴールとして学校や家庭や社会で人財育成していく。。。という感じなのかな、というところでオシマイにします。




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