私は普段自分の身に起きたこととか考えたことは全て、人に話す前にまず書いてしまうし、書きながら新しいことを考える。そして人に何かを話そうと言うときには、すでに自分が書いた文章を台本のようにして喋ってしまうし、なんならそれを繰り返しさまざまな人に話して磨き、落語みたいにしてしまう。
ななこさんも会話のことをエピソードトーク発表会と捉えているタイプの人で、いわゆる"キャッチボール"のような会話に魅力を感じていない様子。私たちはエピソードでカードバトルをしているだけで、本当に会話が下手だねと話したことがある。私たちの会話は本当にひどい。カードバトルなんて大層な例えをしてしまったが、実際のところまるでカラオケだ。
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私の好きな種類のお笑いは何よりもまずエピソードトーク。どんなネタ番組よりもアメトークをたくさん観て育ったから当然だ。そして、面白い人になるためにはとにかくエピソードを叩いて磨けばいいんだと思った。当意即妙な切り返しができる気はしなかったが、「やらかし」などの頻度には自信があったから、それをパッケージ化して売り込むことで友達を作った。寮ではその狂ったセールス活動にさらに精を出し、結果としてかなりたくさんの先輩に可愛がられた。ただ、「1回生の女」という属性が付加価値にならない客である同期女子には、私を売ることを諦めていた。
生身の自分のまま他人とうまくコミュニケーションを取る方法はよくわからなかったし、「面白そうな1回生の女の子」役だけをやって、1年逃げ切りたいと思っていた。好きな女に執着して関係がうまくいかなくなったり、仲良くなりたい女から面白いと思ってもらえなかったり、そうやって生身の私が傷つくことをとにかく避けたかったからだ。逃げるためにやっているということには、完全に自覚的でいた。
まあ、好きな女と親密でいることに何度も失敗してきたこと、などとは関係なく、私ではない誰か別の面白い人にずっとなりたかったんだった。だから自分の身に起きることのとりわけセンセーショナルな部分を抜き出し、目を引くパッケージを作ることに腐心してきた。そして自分と同じような手段で人と交わろうとしている者を見つけると、エピソードでカードバトルのようなことをして遊んだ。それは会話というよりカラオケだった。
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(漫才の話。省略)
一番好きな芸人を聞かれたらDr.ハインリッヒと答えることにしています。本当のことだから「答えることにしている」とか言うの嫌なんだけど、でも言うことにしているんだよな。
①エピソードトーク、②映像を体で再生しているような、あるいは言葉が映像を思い起こさせるボケ、③訂正や制止をしないツッコミ。これら私の好きなお笑いの要素全てを兼ね備えた最高最強No.1お笑いこそ、Dr.ハインリッヒの漫才。彼女らは自身の漫才を「ファンタジーエピソードトーク漫才」と称していて…疲れたのでお笑いについて書くのはやめます。
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本当は、今日書きたかったのは、今日が楽しかったということ。南沢さんが飲みに誘ってくれて、ふたりで4時間くらいいっぱい喋った。「メロい」、お笑い、アイドル、岡村靖幸、スピッツ、ミスチル、K-POPファンダム、フェミニズム、ミスiD、ガンダム、東京、早慶、森見的京大と京都ノスタルジー、熊野寮、自立障害者運動。
いろんなことを話したので、痕跡を少し残そうと思う。順番とか忘れた。彼女が話していたことについてはそこまで深く触れないでおく(これを読んで思い出したくなったら、本人にまた聞くぞ〜)。私の考えてることや二人の共通見解の覚え書きです。
・恋人と喧嘩した話から、年齢は関係ないと思いつつ、お前年上だろと思っちゃうこともあるよね、恋人の男友達に嫉妬する男がわからない→わかる私からのご説明、など
・好きな顔の話
・「メロい」って何→「推し」よりもさらに欲望を覆い隠すための言葉が流行っていて嫌→好きな顔の持ち主が普通に嫌なやつなこと多い→「女殴ってそう」な見た目が、「メロいと言われてそう」な見た目の代表格のように思えるという話。"実際に身の回りにいたら嫌なやつなんだろうけど、その(キャラクター/顔の)造形に惹かれてしまう"ような人への欲望を諦めきれない(性的に消費したい)人がたくさんいるのでは。
・好きなスピッツの曲を挙げるときの選曲がいい男性芸能人をすぐ評価してしまう(のが恥ずかしい)。例:高橋一生、ハライチ岩井、無尽蔵野尻
・スピッツの好きなアルバム、ファンになったきっかけ。親がベストアルバムを持っていたこと、とにかく初期の2枚が好きなこと、三日月ロックとハヤブサの曲でファンになり直すよねというあるあるなどを共有。さざなみCDとオーロラになれなかった人のためにの話、海とピンク、アパート、Na・de・Na・deボーイ、海ねこ。
・スピッツと○○が好き←○○に割とどんなバンドが入っても変じゃないというか、それは変だろみたいな組み合わせの人もゴロゴロいるのがすごいよねという話。スピッツとミスチルが好きな人とかも普通にいるし。
・スピッツとミスチルが好きな人は単純にその時代を作っている音楽が好きな人なんだろうな。今だったらミセスと米津が好きみたいな。
・ゆず、コブクロ、ドリカムの悪口。ミスチルの悪口。悪口言えるほど知らないけど悪口を言う。ミスチルもドリカムも曲はかっこいいよな。
・彼女の通っていた中高?の嫌な先生の話。井上陽水のことはただ断罪するばかりかその罪と作品を結びつけて作品への評価を拒絶するのに、ミスチルの不倫はあえて見過ごして曲を褒める先生がいて、嫌だったらしい。
・いつからアイドルが好きか、当時どういう手段でアイドルの情報を得ていたかなどを振り返る。私がした話→ジャンルを渡り歩いてきたタイプのアイドルオタクたちはハロプロを基礎教養としていがち、2018年のK-POPファンダム、私がその一部だった頃のTwitterの話。アイドルオタクがオタクアカウントで政治の話をすることにカルチャーショックを受けたこと。Twitterで知って『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだことやSHINeeのオタクのツイートによってジュディス・バトラーを知ったこと、など。私の観測範囲内のKぽオタたちは、ルポールのドラァグレースの日本人視聴者層とかなり被っているような感じだった。音楽性に関して言うならゲイクラブアンセムがウケる界隈というか、なんと表現したらいいのかな。とにかく、一つの音楽ジャンルの背後に固有のカルチャーがあるってこととかがどういうことなのか少しわかるようになったのは、そういう大手垢の集まりみたいな界隈をウォッチしていたり相互だったりしたから。いろいろと多大な影響を受けた。
・彼女は岡村靖幸が大好き。トリビュートアルバムを待ち望んでいるらしい。→自意識過剰、ナルシストな人が好きということらしい。私は露悪的な人が好きで、私たちに共通しているのは、隠すべきとされている性質を剥き出しにしてしまっている人、見ていて恥ずかしいような人に惹かれるという点。
・私が最近熱を上げている?野尻佐央さんという人の話。どういう欲望が私を彼のファンにさせたか→ 社会に溢れる欺瞞、自分の中の矛盾や言行不一致に耐えられず、必要以上に正直になってしまう/開き直って露悪的になってしまう、そういう潔癖さを持った人を眩しく思ったり、その人がただの嫌なやつになってしまっているのとかを見たい。
・覚醒剤で捕まるラッパーはあまり見たことがない。覚醒剤が売り物として身近にあるような環境をリリックの中で描いている人とかは見かけるが、なんかみんな大麻だよねという話
・お互いの、日本語ラップが好きな理由、歌詞の好みの話。南沢さんは言葉から意味が浮いているような状態が好きだということらしい。
・私は言いたいこと多い人が好きだからラップを聞くと楽しい←音楽が好きだけど音楽のことが全然わからないからかも。
・私はあまりにも文学的でない(言いたいことはあるようだが、それを表現するのがその言葉であることに必然性がない)歌詞が許せないという話。意味ない歌詞は好きだし、何か言おうとしている歌詞も好きだし、かっこいいと思う言葉一覧みたいな歌詞も好きだが、ファンモンとかいきものがかりみたいなことを言いたいのにやたら難解な言葉を使って流行りの雰囲気を演出している歌詞とかが本当に嫌いだ!
・笠原桃奈さんの口紅の話。巫まろのZOC加入の話→大森靖子っていつ知った?
・ミスiDを今の自分が見てもいいと思わないけど、中学生の自分のことは救った。ヴィレヴァンと一緒。
・彼女は最近ガンダムを見ているらしい。思ったよりただただ戦争の話でびっくりしているらしい。どう見るのが正解かある程度決まっている作品(だから流行った)かと思っていた。←この話の中で、YouTube『ミームを考える』の「感想を決めている音楽」を紹介。
・令和ロマンが好きな私、嫌いな彼女。令和ロマン嫌いだけどラランドは好きだという人をそれなりによく見かける。「友達がおめでた」サムネからして見てはいけないもののような感じがして怖くて再生できないよね、とか。私はくるまさんのことを自分みたいな脳の持ち主だろうと勝手に思って共感しているファンなので、オンカジとかやってても特に違和感がない。なんでもそつなくこなせる、かしこ、インテリなどと思われてしまっているせいで、本人にとっては特に珍しくなさそうなやらかしで必要以上にがっかりされる、そういう立場の人にかなり同情してしまう。
・最寄りの都会について。東京、大阪、福岡
・学生の間だけ京都に住むと、京都ノスタルジーに囚われすぎてしまうのではないかという危惧を彼女はしているらしい。確かに京都ノスタルジーに囚われている人の姿はよく見かけるが、そういう人はみんな京都に何も期待していなかったのだろうか?つまり、ある種の幻想を抱いて京都にやってきて学生生活を過ごし、期待はずれだったり失望したりした人も京都に過剰なノスタルジーを見出すのか?森見的京大に憧れて京大に入学すれば必ず失望することになる→森見以後の京大小説、京都に失望する大学生の物語誰か描いてくんないかな。など
・私の場合は森見的京大に幻想を抱いていたわけではなかったが、東大じゃなく京大をわざわざ選んでくるような人たちはもっと怠惰で社会不適合者で、私が居心地悪くない場所があるだろうと思って九州の田舎からわざわざ京都まで出て来たのに、寮生以外の京大生、キャンパスで見かける人たちはみんな高校までのクラスメイトと変わらなくて、まともで賢くて優しくていい人で、あと大学って普通にある程度ちゃんと行かないといけなくて期待はずれだった。
・大学生になって、教室に行かなければいけないわけではなくなった(本当はそんなことはないし、他の授業行ってない寮生よりも圧倒的にただただ出席しなかったのでただ4年が無意味に過ぎた)ことで心身症は落ち着いたが、やるべきことをやれていないという状況は中高から変わらないどころか加速して、そのために精神症状はより悪化したという話。
・熊野寮の話。焦りを促すアジテーション、自分ごとの範囲、躁病的なエネルギーを搾取するカルト、色々話したが最終的には、政治との距離の取り方というか、なんか、難しいよね…どうしたらいいんだろう…しか言えなくなった。私は活動家として生きていけないということを4年かけて知り、そういう自分を恥じるようになった。寮自治の中で実際に自分が噛んできた領域に関しても、結局女のためになることしか頑張れなかったのがしょうもないと思っている。寮自治というか、政治がまだ女のものではないことを示してしまっているようで情けないという意味。自分は活動家にはなれないし、そもそも自分が壊れない「自分ごと」の範囲もかなり小さい。←「自分ごと」と捉えられることが大きすぎるのは精神衛生上よくない、みたいなことを言うことに忌避感。「精神衛生上」「予後が悪い」みたいな語彙が流行ることに苛立っている。心理学をやりたい人間ではある/あったはずなんだが社会が心理主義化していくことに対しては常に腹が立っている。
・とりあえず今は、既存の社会からも必要とされていて、かつ自分が思う社会をより良くするための運動としても一定有効な?仕事に就くべきなのだろうと思っていて、それがケアに関わる仕事だということ。
・私が退寮したあともまだ寮自治の役に立つ存在でありたい/あるべきだと感じるのは、好きな友達たちに認められたいという欲望でしかなくて、それが善だからとかではないなと確認。幸い寮内にまだ一つ残った自分の仕事を見つけていて、それは自立障害者と寮生との関わりをちゃんと継承していくこと、そのために書く/書ける人を見つけてくることとかだと思う。M田さんは炊事部の話よりSさんの介護の話とかをした方がいい。
長々と書いたが、たのしかった。彼女と話すことを用意して行かなかったし、かといって落語やらないと決めてたわけでもないのに、エピソード披露会になりすぎずいい会話ができて楽しかったということです。コミュニケーションはバトルの道具じゃ…逆だな…バトルはコミュニケーションの道具じゃねえ…!