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『怪物はささやく』 自分の前にも、こんな怪物が現れてくれないものか。

久しぶりに小説を読んだ。といっても長編ではなく創元推理文庫の『怪物はささやくだ(⇩)

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 児童文学章であるカーネギー章を受章しているらしいこと、挿絵がすばらしいという評判の他にはあらすじぐらいしか知らず、原案者と作者が別人であることなどはまったく知らない状態で読み始めた。むしろそれがよかったのだろう。久々に「物語」そのものの効能を感じることができた。何かを「読み終えるのがもったいない」「ずっと読んでいたい」「もっと謎めいた状態を見たい」という気持ちを思い出したし、あげくには「終わりまでたどり着きたくない」という気持ちにさえなった。そうだ、他人の作品に心打たれるとは、こんな感覚なのだ。本作は児童文学なのでどちらかというと主人公と同じぐらいの年齢(小学校の高学年)の児童が読むべきだとは思うが、大人が読んでも充分に感動できた。久しぶりに文学作品を読んで感動できた感謝を込めて、感想や分析を織り交ぜながら、この作品の魅力をお伝えしたいと思う。

 文学作品としての魅力を語る前に、まずはジム・ケイ氏が描いた挿絵ついて語らせてもらおう。私が本書を読むきっかけになった「ジモコロ」の記事によると児童書の挿絵に授与される章「ケイト・グリーナウェイ章」を受賞しているらしい。モノクロームで版画のような画風でありながら写実的な部分もあり、文庫版の小さな判型で見るだけでは物足りないほどの高密度で描かれている。この絵はどう見ても、もっと大きな判型でじっくりと眺めるべきだ。恥ずかしながら私はイチイの木をよく知らなかったのでグーグルの画像検索をして写真を探し、イチイの姿を確かめた。イチイの写真を眺めても作中の「怪物」に似ているとは思わなかったが、それでもこの「怪物」が樹木の化身であることは、頭や腕や背中から生えている枝で一目瞭然だ。無彩色しか使わず、陰影と輪郭だけで植物らしさを表現できる画力はすばらしい、いや、凄まじい。怪物が屋根に腰かけている場面では、怪物の生命が感じられる。怪物の息吹が聞こえそうなほどに。残念ながらこの怪物は物語が進んでいくにつれて実在感が薄れていってしまうものの、絵の迫力はまったく減じない。迫力といってもただ恐怖や圧迫感を与えるだけでなく、同時に陰鬱な美しさがあり「物語の内容を伝える」という実用性の枠をはるかに超えている。本文から独立した、挿絵家のオリジナル連作として発表しても通用しそうな完成度だ。ポスターが販売されれば迷わず購入するだろう。せめて絵葉書にしてほしい。

 文学作品としての内容にふれるまでに、少々お待たせしてしまった。ここからは、この作品そのものの魅力をお伝えしよう。

 主人公のコナー少年の元に、ある夜、イチイの木の姿をした「怪物」が現れる。なぜか必ず12時7分にやってくるこの怪物は、これから三つの物語を話すという。そして、コナーには四つめの物語を話せと命じる。この怪物はどんな物語を話すのか。なぜいつも同じ時刻に現れるのか。なぜコナーの前に姿を現したのか。徐々に謎が明かされていくが、すべての答えが明示されるわけではない。

 読者が児童ならば、怪物の正体知りたさで読み進めるだろう。しかし、大人になると着眼点が変わる。その正体よりも、なぜ現れ、コナー少年にどのように働きかけるのかに注目する。この怪物が実在するかどうかは問題ではない。

 初めての読者には、怪物が物語を話す目的がわからない。そこで、物語の内容から、怪物の目的を推理することになる。ここで注目すべき点は、怪物が話す物語はコナー少年の現状と少しだけリンクしていることだ。第一の物語は、自ら恋人を殺めておきながら、それを女王のせいにする王子の物語。第二の物語は、娘が病気で瀕死になったとたんに、信念を捨ててアポセカリーに頼る司祭の物語。第三の物語は、人々から「見られない」からといって、怪物を呼んだ男の物語。それぞれの物語がどのようにコナー少年とリンクしているのかはご自分の目で確かめてほしいが、私の推理は当たった。どうやらこの怪物は、コナー少年が辛い現実に立ち向かえるように促しているらしい。怪物はコナー少年に物語を聞かせて人間の複雑さを伝えたかと思えば、一緒になって大暴れすることもある。やはり、怪物は怪物なのだ。人間ではないしただの樹でもない。これが人間の賢者や古の大木ならばただ教訓を伝えるだけで終わるだろうが、怪物は、一緒に暴れてくれる。時には間違ったことも一緒にしてくれる者こそ、子どもにとっては真の友達だ。離れたところからするべきことを教えるだけの大人たちの言うことなど、孤独な少年の心には届かない。だから、この怪物が現れたのだ。怪物はコナー少年に「呼ばれた」と言う。コナー少年は「呼んでない」と言い返すが、コナー少年にはこの怪物が必要だったことは事実だ。正しいだけの大人や、愛らしいだけのペットや、かわいいだけの女の子などでは、彼の勇気の元にならない。だから怪物が現れたのだ。

 この怪物の魅力は、挿絵に描かれた荒々しさや、一緒に暴れてくれることだけではない。読後に「自分の前にも現れてほしい」と思わせることだ。読者が子どもであれば、大きな怪物が味方になってくれれば心強いだろう。一緒に暴れたいと思うかもしれない。私は怪物と一緒に暴れたいわけではないものの、私の現状を現す「物語」を話してほしいとは思う。その物語をきけば、私がどうするべきなのかわかる気がする。私の前にも、こんな怪物が現れてくれないものだろうか。もしも現れてくれるのなら、イチイもよりも親しみやすい姿の樹であってほしい。松かイチョウはどうだろう。いや、そもそも、私の場合は樹木の姿をしていないかもしれないが。それでも私は、こんな怪物に会いたい。

 

以上、『怪物はささやく』の魅力と感想をお送りした。児童文学を侮ることなかれ。

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