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『風に吹きはらわれてしまわないように』

ひさしぶりの翻訳書が明日書店に並ぶ。

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1週間ほど前には見本も届いたし、昨日あたりから書店への配本もはじまっているようだ。奥付の発行日は12月10日だし、「12日発売」という情報がどの程度の意味を持つのかよくわからない。紙の本は即時性がポイントではないので、まあぼんやりと「このあたりで読者の手に届く」という理解でいいのだろう。

今回の出版に関しては、既に前回記事でも告知している。

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そのなかで、私とこの本の関わりについても書いた。だから、そこは繰り返さないでおこう。ただ、いよいよ発売となって、およそ40年前、同じように自分の本が書店に並ぶにあたって感じたことを思い出す。そんなことから書き始めてみる。

当時の私は、大学の中退者であり、家出人であり、非正規雇用の身の上だった。世間に対して気兼ねすることばかりの多い日陰者で、おまけに恋人と別れたばかりだった。世の不幸を一身に背負っているような気持ちになることもあったけれど、それは全部自分で選んだことであったし、私の事情がどうであれ、世間は無関心で、外見上は気楽なフリーター(という言葉はまだ一般化まではしていなかった)に過ぎなかった。引け目はただただ自分の中にだけあった。

なぜ、エンジニアになる道を捨てて学校をやめたのか、なぜ理解のある両親の元を離れたのか、なぜ800円の時給で得体のしれないアルバイトをしているのか、なぜ将来を約束した恋人を傷つけたのか。どういうわけだか私は、そんな答えがすべて、この1冊の本の出版にあるような気がしていた。初めて自分の名前が本の背に載ることに、嬉しいとか、晴れがましいとか、そういう気持ちにはなかなかなれなかった。ただ、少し救われた気にはなった。どうにかこうにか、これで世間に言い訳が立つんじゃないかと、そういう気持ちがしていた。

なので、確か5冊の著者献本に加えて、20冊だかの著者買取をしたと思う。印税からの天引きなので懐はいたまない。その20冊を、あちこちに配った。まったく関係のないようなところにも置いてきた。自分が自分である証明だと思うから、初対面の人にでも手渡した。25冊はすぐに手もとからなくなった。

けれど、それは私に何一つもたらさなかった。感想を言ってくれた友人もいたけれど、そこまでだった。世間は、私の個人的な悩みに無関心であるのと同じくらい、私の仕事にも無関心だった。あたりまえのことだ。

価値観は時代とともに変化する。それは21世紀のいま、この10年を見ていても感じるが、私の若い頃も価値観は急速に変化していた。だから小学生の頃に親から与えられた価値観と、二十代のその頃を生きる私のなかで形作られていく価値観はやっぱりずいぶんとちがっていた。自分の根っこにある価値観では、ひとは成長し、「何者かになる」べきものであった。それは「立身出世」的な価値観と言ってもいいし「故郷に錦を飾る」的な発想といってもいい。あるいは、こんな歌の世界だろうか。

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その一方で、私自身がたどりついていた価値観は、そこから遠いところにあった。おそらく80年代には珍しくもないことなのだろうが、「まずは自分がおもしろいと思うことをやるべきだ」というのがその根幹であったように思う。未来がどうだとか、そんな先のことは知らない。ただ、直観が「これだ」と示すものに向かっていけばいい。私はそれを信じるようになっていた。

根っこにある価値観と、自分を動かしている価値観は矛盾する。そういった価値観の相克のなかで私は迷っていたのだろう。そして、自分が「これだ」と感じた翻訳が形になったことで、両者を同時に満たせたような気がしたのかもしれない。けれど、だからどうだというのだ。1冊の本が世に出ても、それは森の木の葉が1枚落ちたことと何ら変わりはない。私の日常になにか変化が起こるかといえば、まったくそんなことはなかった。ま、そうだよねと、私は肩をすくめて時給800円のアルバイトを続けるばかりだった。

 

今回の出版にあたって、出版社から「献本先のリストを送ってください。著者買取は8掛けでOKです」みたいな連絡があった。2年前に出た訳書でもその前の訳書でも、同じようなことはあった。けれど、そのときは監訳者がいた。なので、監訳者と出版社のやり取りを私は傍観するだけだった。なるほど、やっぱり大学の教員ともなればいろんな人脈があるもんだなあと、ずらりと並んだそのリストを見ては感心していたものだ。さて私はといえば、だれひとり思いつかない。1件だけは外せない献本先があるけれど、それは手紙をつけたいから自分から送る。結局、「すみません、友だち少ないもんで…」と、勘弁してもらうしかなかった。

友だちと呼べる人がいないわけではない。ただ、あんまり関係なさそうな人に贈ってもなあと思うようになった。若い頃のように「私の仕事を見て! 私を見て!」と思えなくなったと言ってもいいかもしれない。一緒に薪を調達するストーブ仲間とか、いきなり小説を渡されても困るだけだろう。音楽仲間は本なんか読まないかもしれない。近所の人にはいまでも十分に怪しい人認定されてるのに、これ以上怪しくなってどうするんだ。まして仕事で教えてる生徒たちなんか、教師のことなど知りたくもないだろう。

それでも、本当は知らせたい人もいる。もう連絡をとることもできなくなった人に、こういう機会だからと、「元気にやってるよ」と知らせる意味でも、新刊案内ぐらいはしておきたい。実際、ここ数年は、そういう案内を口実にそっとBCCに古いアドレスを忍ばせてメールの送信ボタンを押すことを心の支えにしてきたところがある。出版(publish)とは公(public)な行いであって、プライベートで会えなくなった人でもそういう機会になら連絡をとってもいいよねと、自分自身に言い訳をすることができるから。

そうやって、今回も「新刊お知らせメール」を用意していたのだけれど、結局、送らないことにした。世間は、自分が思っているほど、自分に興味をもたない。いや、私が知らせたいあの人は、少しぐらい何かを感じてくれるかもしれない。けれど、それでどうになる。なにもなりはしないではないか。私の思いはどこまでいっても私のものでしかなくて、たとえそれが誰かにつながるものだとしても、それはそのままの形では伝わらない。場合によっては悲しませたり怒らせたりするかもしれない。大切にする思いがあるのなら、それはそのまま自分の中にとどめておくべきではないかと、思いなおした。

 

人間は、はかないものだ。ましてその内面に神経の電気作用で生じた幻に過ぎない感情など、あっという間に消えてしまう。砂嵐の中にぼんやりと浮かび上がった砂塵がつくる幻影のように、気がついたときにはもう吹きはらわれてしまう。それが人生というものなのだから、それはそれでいいのだろう。

それでも、のこしておきたい記憶がある。のこしておきたい気持ちがある。だから、風に吹きはらわれてしまわないように、詮のないことを書き続けるのかもしれない。それが巡り巡って誰かのもとに流れ着き、そして誰かの人生の一部になることだって、あるかもしれない。少なくとも、リチャード・ブローティガンの残した言葉は、そんなふうにして私の人生の一部になったのだと思っている。




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