今週のお題が「4月1日の思い出」ということで、別にふだんはそういうのに乗る趣味はないのだけれど、やっぱり忘れられない思い出があるから、改めてここに書いておこう。あれはほんと、どういう意味だったのだろうと、未だによくわからないでいるのだから。
数十年前、私にも高校生だった時期があった。どういうわけだか進学校だったので、大学進学以外の進路はなかった。ちなみにその数年前までは毎年2人ぐらい、銀行の事務に女子生徒が高卒採用される枠があったらしいのだけれど、時代の変化でそれも消えていた。ウソではない。私はちゃんと就職担当の進路指導の教師のところまで行って詳しい説明を受けたのだ。かの教師は困惑した顔で
「家庭の事情か?」
と尋ねた。いえ、ただどういう可能性があるのかじっくり自分の進路を考えたいのですというと、
「ウチみたいな学校には企業からの求人は来ないんだよ。市役所とか、どこにでも一応送るような求人はあるけど、優秀なウチの生徒がわざわざ行くようなとこでもないし」
みたいなことを続けた。ちなみにその学校はたしかに優秀だったのだろうけれど、その中で私はどう考えても優秀とはいえない生徒だった。もうあんまり勉強もしたくなかったし、何なら働くかとも思っていたのだけれど、特に何かやりたいことがあるわけでもなし、「いい話があれば」的な根性ではどうなるわけもない。
結局私はいきあたりばったりに適当な大学を選んで受験した。どれも合格の可能性は極めて低いものばかりだった。それでも進路指導にあたった担任が受験させてくれたのは、当時はまだ浪人が当たり前の時代で、「ま、いっぺん頭冷やして1年間勉強やり直せや」ぐらいの感覚だったのだろうといまにして思う。
結局、すべての入試は不合格だった。私は残念というよりも、「ま、世間はそんな甘くないよね」といった冷めた気持ちでその結果を受け止めた。受験勉強ゼロで合格させてくれるほど大学はいいかげんなところではないのだろう。そして予備校の試験を受け、こちらは合格した。割と有名な予備校だったから、それはそれなりの最低限の「実力」みたいなものはあったのだろう。
高校時代の友人は、それぞれ名の通った大学に合格したり、あるいは運悪く予備校コースが決まっていた。そういう友人たちと「受験勉強から解放された」という名目で遊び歩いた。もちろん受験勉強を一切拒み続けていた私には何の解放感もなく、「なんだかなあ」と思いながら、予備校が始まるまでの日々を過ごしていた。
さて、忘れもしない4月1日だ。その日は、私同様に予備校進学をめでたく決めた友人が遊びに来ていた。私に音楽の楽しみを教えてくれた友人で、高校でずっと同じクラスだった。そのとき何をしていたのかもう覚えていないけれど、この友人と自分の部屋にいた午後、突然親によばれた。大学から電話だという。
「は?」
というのが正直な感覚だった。いまさらなんの用がある? 電話に出てみると、
「欠員が出たので補欠合格です」
という。
私はカレンダーを見た。4月1日だ。誰が仕組んだ?
「そーですか。はいはい」
そして私は電話を切った。電話を切ってから、不安になった。
友人が心配そうな顔でこっちを見てる。私は一部始終を説明した。
「よかったやん! おめでとう」
いや、今日は4月1日だって!
親が出てきて事情を聞く。さすがおとなだ。
「そんなん、こっちから大学に電話して確認してみたらええやん」
大学の電話番号はすぐにわかった。そして電話してみると、確かに補欠合格だという。
この期に及んで、まだ私は喜べなかった。
「けど、予備校に入学金、払ってしまってるやん!」
アホやと思う。入学金を惜しんで1年間予備校に通うほうがよっぽどカネがかかるだろう。ちなみに、この入学金は事情説明したら返してもらえることになった。
こんなふうにして、私は大学生になった。けれど、いまでも思う。あれはほんとに本当だったのだろうか。私は本当に大学に合格したのだろうか。結局大学は卒業できなかった。その後、「大学はどちら?」という質問をつねにきわどいウソでかわし続ける人生を送ることになった。
そんなウソだらけの人生のスタートは、あの4月1日だったのかもしれない。