
アメリカvsイラン戦争の勃発、資源を巡りイランと良好な関係を維持してきた日本はどう対応する?イランと良好な関係を築く基になった史実を描いた作品ということで観ることにしました。
2013年度本屋大賞第1位を獲得した百田尚樹の同名ベストセラー小説の映画化。出光興産創業者の出光佐三氏を“モデル”にしたといわれる物語、昭和20年代にアメリカの大手石油会社の支配を突っぱねイランから自前の船で原油を買い付けた人がいたことに感動、今になってこれがどれほどの偉業であったかが分かります。
なぜ日昇丸をアバダンに送る決心をしたのかを焦点に主要なエピソードを、終戦時を起点に現在と過去を行き来しながら、国岡鐡造という人物と国岡商店の全体像が逐次浮き彫りになるよう構成され、最期まで緊張感と感動で観ることができました。
監督・脚本:山崎貴、原作:百田尚樹、撮影:柴崎幸三、VFX:山崎貴、編集:宮島竜治、音楽:佐藤直紀。
出演者:岡田准一、吉岡秀隆、染谷将太、鈴木亮平、野間口徹、ピエール瀧、黒木華、光石研、綾瀬はるか、堤真一、近藤正臣、國村隼、小林薫、他。
物語は、
主要燃料が石炭だった当時から、石油の将来性を見抜いていた国岡鐡造は、北九州の門司で石油業に乗り出すが、国内の販売業者や欧米の石油メジャーなど、様々な壁が立ちふさがる。それでもあきらめない鐡造は、型破りな発想と行動で自らの進む道を切り開いていく。やがて石油メジャーに敵視された鐡造は、石油輸入ルートを封じられてしまうが、唯一保有する巨大タンカー「日承丸」を秘密裏にイランに派遣するという大胆な行動に出る。それは当時のイランを牛耳るイギリスを敵に回す行為だったが……。(映画COMより)
あらすじ&感想:
冒頭、1945年5月のB29による爆弾投下で飛び立つにも油がなく2機の戦闘機が炎上。焼夷弾で焼き尽くされる東京を、避難した丘の上から茫然と見つめる60才の国岡鐵造(岡田准一)とその家族のシーンから物語が始まる。
○1945年8月17日「一人も首にせん」
鐡造は従業員を集め「よく無事でいてくれた。まずは言いたい、愚痴を止めろ。大国民としての誇りを失うな。何を失っても日本人がいるかぎり再び立ち上がる。石油で負けたが再び日本が立つには石油が必要になる。一人も首にせん」と力強く訓示するが、どうやって社員を養うか方策が見つからない。
石油配給統制会社(石統)社長烏川卓己(國村隼)に願い出ても、戦時中の国岡の商売に反感を持っており、石油を融通してくれない。帰宅し悔しさで机を叩きながら創業したころの苦しかった記憶“仕事を作る”を思い出す。

○1912年(大正元年)鐡造27才「海賊と言われる」
鐡造が機織り工場に油を売ろうとするが追い返される。「この業界は難しいから職を変えろ」と言われ「もうすぐオートモービルが必要な時代が来る」と喰い下がる。「ダメなのは袖の下に入れないからだ」と言われるが“士魂”が許さんと断る。行き詰まった鐡造は国岡商店創業の恩人本多章太郎(近藤正臣)を訪ねた。
「あれはあげたお金や。あんたの言う“士魂商才”という商売を見たいんや。あんたは高いところを見ている。3年が駄目なら5年、5年が駄目なら10年や。仕事がないなら作れ、それでも駄目ならふたりで乞食になろう」と励まされた。
この言葉に発奮し鐡造は軽油で動かす焼玉エンジンに目をつけ、日邦商社のだぶついている軽油を買い占め、門司で漁船を相手に海上販売を始めた。
下関側の同業者が騒ぐが「これは真っ当な商売や、海に境界はない」と商売を続ける。彼らはこの商売を「海賊」と言った。この商売気に惚れた漁師の長谷部善男(染谷将太)、日邦石油社員・東雲忠司(吉岡秀隆)が入店し、これを契機に大きく売り上げが伸びる。ここで兄の国岡万亀男(光石研)に「苦しい時には嫁が必要や。夫の苦労を背負うてくれる嫁が来たら家宝や。夫も嫁の苦労を背負うてやらんとな」と勧められユキ(綾瀬はるか)を娶った。次の朝からユキは甲斐甲斐しく働き従業員の面倒を見る。光石さんが加わると小倉弁が冴えます。(笑)

○1945年「仕事を作る」
終戦となったが仕事がない。そこに元海軍大佐の藤本宗平(ピエール瀧)が「今の日本には娯楽が必要だ。ここを拠点にして米軍お下がりの中古ラジオを修理し販売したい」という話を持ってきた。社員は「全く経験がない」と反対するが、鐡造はGHQのお墨付きの仕事であり大佐の人柄に惚れ込んでこれを受け優秀な社員を回すことにした。

しかし銀行の融資先が見つからない。鐡造は藤本に「熱が足らん。熱が!」と叱り飛ばす。専務社員の柏井耕一(野間口徹)が「あの気性、やる気のあるやつにはたまらんのです。あなたは期待されているんです。あなたに大切なのは説得力です」と協力を申し出た。この気迫に押され藤本は融資を取り付け、事業は軌道に乗った。
東雲ら4名の社員が復員してきた。彼らは国岡商店の看板を見て喜んだ。鐡造も彼らの復員を喜ぶが仕事がない。GHQが“旧海軍備蓄タンク底に残った残油の回収が終われば石油の輸入を認める”と石統に伝えてきた。
この仕事は暗いタンク底に裸で降りて異臭を放つどろどろの油をくみ出す作業で、請け負う会社は見つからない。そこで石統はこの話を國岡商店に持ってきた。鐡造はこの仕事を東雲らに任せた。彼らは“この仕事は汚いし苦しいから止めたい”と言うが、“社長がやってきて社員を抱き抱えて激励し自分も底に降りて働く”というのを聞き“社長のために頑張る。下にあるのは石油だ。石油の仕事をしているんだ”とこの困難な仕事をやり遂げた。

1947年、GHQの通訳をしていた武知甲太郎(鈴木亮平)が國岡商店の社員にしてくれとやってきた。武知から“GHQ情報として石油の輸入が解禁になるが取り扱い会社として国岡商店は、石統の烏川の企みで、メンバーから外されている”という情報がもたらされた。

鐡造は武知を通して“この不条理”をGHQに訴えた。GHQの担当者はタンク底で働く国岡の社員を見て「美しいものを見た」と国岡商店を石油配給公団販売店に指定した。
鐡造は全国29店舗で石油販売を再開するにあたって「指定業者にはなったが、大メシャーがやってくる。絶対に負けられん。メジャーに負けては独立とは言えん」と訓示した。かってのメシャーとの関わりが鐡造の脳裏をかすめた。
○1919年満州。「メジャーとの確執」
國岡商店は下関での海賊事業があたり、次の事業として当時の日本の満州政策に目をつけ満鉄の列車車軸油の受注を目指した。ここでは美しい冬の雄大な満州の風景に魅入ることになる。
鐡造は長谷川を伴って極寒の満州を訪れ列車車軸油に関する情報を探っていた。“海外の石油メジャーが契約を独占しているがメジャーの油は冬期によく凍り、このため競争入札を考えている“という情報を得た。帰国し「うちのはナフテン系だから強い」と連日連夜テスト励んだ。ほとんど妻ユキと会話することもない日が続く。兄が「早く子供を作れ」と急かしユキが気にする。鐵蔵は「お前のせいではない」とユキを慰めるのだが・・。(笑)

列車の走行試験で唯一凍結しなかったのは国岡製品のみだった。満鉄職員が「メジャーが“すべての油の取引を止める”と言うてる。彼らを怒らせたくない」と言いメジャーの一人は「いつか思い知らせてやる!」と反感を示す。鐡造は「メジャーを倒すには時間がかかる」と感じながら大きな成果を持って門司に帰った。
しかし、ユキが「ずっと考えていたんですがこの結婚は失敗やと思います。子供を持ちたいと思いましたがそれも叶わず、お暇をください」と置手紙を残して実家に戻っていた。鐵蔵は“そげに思うちょったか”と悔やんだ。
○1941年12月太平洋戦争が勃発、「国内同業社からの反感を買う」
陸軍本部から“南方石油政策”について意見を求められ「戦争が終わったら居座らず、日本人200人あとは現地人でやれる」という長谷部案が採用された。陸軍が商工省に「国岡にやらせる。お前らよくばるな!」と指示したから、他業者から「あいつが指図した」と反感を買うことになった。
1942年、南方占領地区で民需用石油配給常務を開始し長谷部らを現地に派遣した。そして1945春業務報告にやってきた長谷部が軍用機で現地に帰る途中敵機の射撃で死亡した。この死に鐡造は「あいつがおらんようになった」と慟哭した。長谷部の乗った輸送機が射撃されるシーン、これは不要でしょう。監督には拘りがある!(笑)
○1947、鐡造62才。「石油事業への復帰」
鐡造は店員を集め石油事業に戻れた喜びと抱負を訓示した。この訓示には泣かされます。「石油販売の仕事に戻る。タンクの底に潜った諸君、ラジオの修理で支えてくれた諸君、志半ばで戦いに散った諸君、皆がいなかったら潰れていただろう。まずはお礼を言いたい。29店舗で販売する。俺たちが直接輸入し販売できるその日が目の前まで来ている。持てる力を思う存分発揮できる」と訓示した。
これを契機に米国メジャーより「国岡が怖いから提携したい」と提携話が入る。
条件は“株の50%譲渡すること、役員を数人送り込めること”だった。鐵蔵は「ナンセンス、これは買収や」と応じなかった。
鐵蔵が「あんたの力を借りんでも取引先は幾らでもある。あんたなんかに頼らなくても・・」と話すと「あんたはどこかで会ったことがある」と言う。鐵蔵は「満州で戦ったことがある。状況はあの時と変わっていない」と提携話を断った。
石統の烏川が「あんたは乱暴な男だ。バカだ。メジャーと戦って勝てると思うか。メジャーに捻り潰されるぞ!」と言う。鐡造は「メジャーに支配されるのはどうあっても避けねばならん」と絶対に屈しに態度を生せると「国岡さん、あんた昔海賊と言われたんだってな!!」と貶した“。いっちょやったろか”と鐡造の胸に火がついた。鐡造は“日本のサムライとメジャーが喧嘩、これで我が国は米大手に全滅”という新聞記事を見て“サムライはまだあきらめておらん。いい刀もってる”と微笑んだ。

○1951年、社運を賭ける“と日承丸をアバダンに送ることにした。
国岡は石油運搬船を進水させ、“これが刀だ。どこにでも買い付けにいける”と思った。しかし、メジャーは怒るどころか潰しに掛かってきた。彼らはあらゆる手を使ってきた。銀行が取引中止を言い出す。経営が悪化し店員を自宅待機にした。“次の取引で終了。これで国岡は終り”というところまで追い込まれ、“うちが生きるにはメジャーに関係ないとこと取引すること”に気付き、“イランと取引することを思いついた。”油は安く買える、社運を賭ける“と日承丸をアバダンに送ることにした。
しかし、東雲らが「イランの石油は英国のものだ。また店員を戦場に送る気か。あんたは戦争に行っとらん」と反対した。柏木が「イランの石油にはアメリカも目をつけている。アメリカの目があるかぎりイギリスは手を出さん」と言えば、東雲は「こんな真っ当でないことを行うのは企業家でない博打だ」と反対した。
「博打?これが博打ならうちはずっと博打よ。店主は企業家の仮面を被った海賊だ」と柏木がすべてを引き取った。鐡造はすばらしい部下に支えられていた。
鉄造は日承丸の船長・盛田辰郎(堤真一)に会い「次の航海でアバダンに行ってくれ」と伝えると「店主が行けばというならどこにでも出て行く」と承知した。日承丸の出港時、長谷部の死を思い出し、「船が帰って来んかったら俺は生きていようとは思わん」と送り出した。
船長は出港後船員に“アバダンに向かう”と告げ店主の指示を伝えた。「メジャーの息のかかってない石油が来れば風穴が開けられる。イランの人々に幸せを与えられる。英国があらゆる手段を使うという戦場に向かうことになる。戦争の生き残りが集まった日承丸、ばんざい!」。
日承丸はペルシャ湾航海中に多くにイラン人の声援を受け、アバダン港では盛大な出迎えを受けた。

本当に危険なのはこれからだと気合をかけての帰還航海だった。シンガポール軍港が危険、ここを大回りでやり過ごしたと思ったら突然10マイル先に英警備艦が出現した。相手の「直ちに停船せよ。命令に従え」に盛田船長は「突っ込め」と指示した。接触すれすれに行き交う。鐡造は川崎精油所で日承丸を出迎え「船長以下が優秀だからやり遂げられた」と感謝した。
1973年、引退した鐡造のところに「叔母が亡くなりこれが出て来たので持ってきました」と小川初美(黒木華)が訪ねてきて、国岡商店のニュースをファイルしたアルバムを渡した。鐵蔵は「わしに愛想が尽きて出て行ったのになんで!」と驚いた。「子供のころ国岡さんの話を聞きました。国岡さんに世継ぎが出来たことを喜んでいました」を聞き、涙を流した。
1981年鐡造96才、社歌を聞きながら門司の時代の夢の中で亡くなった。
まとめ:
戦争で何もかも全てを失い地獄の苦しみから立ち上がった物語は、今の我々に生きる術を教えてくれます。
国岡鐵造の人柄特に先を読む企画力と部下を思う温かさ、なによりも部下と一緒に汗を流し泣く姿が感動的でした。
この作品の特色は、
ほとんどのシーンを駐車場で撮影したと言われるほどにCG、VFX技術で作られている。表現が難しいと思われる焼け野原の東京、当時の満州の風景、アバダン港へのタンカーの航行などがまるで生きた映像として観ることが出来、すばらしい。しかし、監督の思い入れか戦闘機や空戦をやたら描きたいようです。(笑)
もうひとつの特性は主人公国岡鐡造の20才から90才にわたる人生を岡田准一さん一人で描いたこと。岡田さんのすばらしい演技の他に特にメイク技術が優れている。描く年代は60代が多いわけで、岡田さんが60才に見える。
アメリカの石油メジャー支配からの脱皮がイラクへの道を開いた。この道を捨てるんですかね!見守りたいと思います。原作者の百田尚樹さん、高市首相をいかに評価するか。これも楽しみです。
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