数年前の5月3日、私は名古屋におりました。
もう何年も前から新聞をとるのをやめたので、実家に帰ると新聞が読めるのが、嬉しい。
憲法記念日でしたので、それにちなんだ投稿が載っていました。
当時64歳の団体職員の方の投稿です。
記憶に残る文部省冊子
一九四七年(昭和21年)、当時の文部省が作成した小冊子『あたらしい憲法の話』を私は小学校高学年のときにたまたま読みました。
二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさい持たないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍も無いのです。これを戦力の放棄と言います。『放棄』とは、『すててしまう』ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もうひとつは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。
わたしが読んだ十数年前の日本再出発は鮮烈で、敗戦国でも誇りを持つべきだと勇気づけられたものです。今もよく覚えています。
この文章を読んだ時、『世の中に、正しいことぐらい強いものはありません』という言葉にギュッと胸をつかまれました。
国によって、歴史によって。人によって、その価値観によって、『正しさ』は曖昧です。
それでも、たとえどんな理由があろうとも武器を手にしたその瞬間から『正しさ』から離れてしまうのではないか。
あのような状態になる前に、理由もわからないまま戦地に送り出される前に、市民に武器を持たせる前に、もっとやるべきことがあったのではないかと思えてならない。
あまつさえ、その武器を供給しようとする国の『正しさ』がわからない。
独裁者を悪役にするのは簡単だ。
でも、その独裁者の暴走を止める手立てはなかったのか。
この状態になるまで、煽り続けた人はいなかったのか。
どこかで、武器ではなくお互いの手を握るようにできる瞬間は無かったのだろうか、そして、その努力をしてきたのだろか。
この文章は敗戦国としての日本のあり方の子供たちに向けてのメッセージなので、今の情勢とは違うかもしれないし、日本にだって自衛隊があるし、某元首相が自衛隊の事を『我が軍』つってドン引きしているし、色々矛盾をはらんでいるのは承知の上です。
でも、あの文章の頃の日本のように、本当に『正しいこと』とは何なのかを考えたい。
ウクライナに、
世界に、
そして、ロシアに、
平和を
本当の強さを
何も持たない正しさを
古い新聞記事を転載してしまったので、もしも、著作権等々で問題がありましたら、教えてください。