
昨日の 『日野市・新選組史跡探訪』のBLOGをUPDATEしました
さて昨日は東京都・日野市まで出向きまして 新撰組の出自と甲州街道の宿場町としての日野市・石田界隈を歩いてまいりました
府中や調布からだと 多摩川を遡上したあたりにあります日野市は 昔から甲州街道の宿場町として栄えました 遊里こそありませんでしたが 立派な本陣や脇本陣があり 往時を偲ぶ意匠もそこかしこに残っていました

日野・本陣の玄関先にて
また 室町・鎌倉時代に比べ 江戸・幕末期は文献や意匠もよく保存されており 研究したり学んだりするにも分かりやすいことが多いです
ご存知 泣く子も黙る新選組は 風雲急を告げる幕末期に組織され 王城の地・京都では治安維持・警護のため 幕府に尽力しましたが 他方では 尊皇の志士や町人からは壬生狼(みぶろ)と呼ばれ恐れられていました
ドラマや小説のイメージが先行する新撰組ですが 最後まで幕府に忠節を尽くした 尽忠報国の男たちという見方もできます
他方 瓦解寸前の幕府を倒し 新しい社会を作ろうと立ち上がった尊皇攘夷の志士たちも やっていることはクーデターですが 時代を回天させ 今までにない社会を作った男たちとも言えましょう

ココで考えたいのは 幕末は 土台がグラつき歯槽膿漏の歯茎のような屋台骨の上にあった後期・江戸幕府 そして泰平の世で腐れ切ってしまった武家社会というふたつが特筆すべき背景にありましょう
しかしそうは言えども 家康以来300年の歴史ある徳川幕府が瓦解するなんてことは 当時の日本人(という概念をあえて持ってきますが)からすると あり得ないことでした
新選組はもともとこの日野市で 天然理心流という流派の武芸を教える試衞館という道場に集まる武芸者たちが発端となります
尊皇攘夷のために 策士・清川八郎(のちに赤羽橋で暗殺)の呼び掛けで意を決し集まりましたが 京都で部隊が離散し 近藤勇や土方歳三が中心となり 会津守護職・松平容保公に謁見 会津藩お預かりの京都の治安維持を守る警護部隊になったワケです

田舎の剣客が藩主に直参して取り立ててもらうなんてことも 考えると異例中の異例 時代が幕末だからこその処遇と言えましょう
新選組は その後対立するライバル(芹沢鴨・新見錦らですね)を暗殺し 隊の実権を掌握 阿吽の呼吸で動ける同士 心を通わせる天然理心流の仲間達が中心の警備隊に成長しました
三条・木屋町の池田屋事件や 蛤御門の変など 幾多の戦火を潜り抜けた新撰組でしたが その後 鳥羽伏見の戦い・甲州勝沼の戦いと奔走しました
勝沼へは甲州街道を行きますので その際に彼らは地元・日野に立ち寄り 故郷に錦を飾っています 近藤勇は戦国武将のような出で立ちであったと言います
逗留したかった近藤に対し 士気の低下を危惧した土方が駒を進めるように注意したとも言われています その局長・近藤勇は 千葉・流山で捕縛され板橋で斬首 時勢は一気に会津戦争に そして決戦の地 箱館戦争に流れていきます
たくさんの血も流れましたが どちらがどうとかではなく どちらも頑張ったのです 新選組は一橋公(徳川慶喜ですね)に大坂で捨てられても 自分たちは幕府を最後まで捨てなかった
戦に生きて戦に死ぬ覚悟 これはまさに尽忠報国の士といえましょう
ボクは幕末については四半世紀ほど考え続けていますが やはりどちらがどうとかいうことではない 隊を率いた近藤勇はタイヘンだったろうし 局中法度書(隊の規約ですね)に逆らう隊志にことごとく切腹を命じた土方歳三もつらかったでしょう
ボク個人としては 坂本竜馬が好きなので 開国派と思われるがちですが 岩倉具視は超絶大キライですし 大坂を捨てて夜に舟で逃げ出し 謹慎蟄居した一橋公の気持ちもわかります
つまり 義と義 エゴとエゴがもつれ合い ぶつかり合ったのが幕末・明治だったんじゃないか 秋風のそよ吹く平和な日野の町を歩きながら そんな風に思いました

本日の練習:RUN ROAD 10km