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奇妙な矛盾に引き裂かれる

大学生のときにこうなりたいと思っていた自分に近づけてて、やりたかったことがやれている、そしてやりたくないことはやっていないというまさに理想的な状態に今ある。

個人的なレベルにおいて、自分の人生に満足している。退屈していないし、楽しんでいる。それは身体においても、まごうことなき事実で、大学生のときよりも今のほうが髪がふさふさになっているのだ。この前ふと、生え際を見たら、以前より毛量が増えていて驚いた。増毛も植毛も、育毛もしていない。というか、大学生のときに将来が不安になってアデランスに行っていたことがある。そのときよりも今のほうが髪がふさふさである。それはなんといってもストレスフリーで健康的な生活を送っているからである。

話がそれた。個人的なレベルにおいて自分は自分の人生に満足している。ところが、自分はいつ死んでもいいと思っているし、人間は早く絶滅するべきだと思っている。だから同時に、自分は、自分の人生にうんざりしている。より正確に言えば、人生に満足していると同時に、人間であることにうんざりしている。

学生のころまでは、人間が幸せになるためにはどうしたらよいかとか、善く生きるためにはどうしたらよいかという視点から個人の人生なり社会システムなりを考えていた。そのなかである程度の思想というか解決策を見出した。

学生を卒業してしばらくすると、もう少し広い視野を持てるようになって、それはもちろん自分の生き方やスタイルともつながっているわけたが、時間がたつにつれて、人間のつくりだしたシステムはがんじがらめになってどうにもできない状態になってしまっていることに気づいた。もはや人間の活動ではなく、存在そのものが問題であり、存在そのものを抹消しなければ問題は何一つ解決しないのだと思い至った。

環境問題にせよ、戦争にせよ、貧困にせよ、それを解決するために多くの人が日々奮闘している。そういった人たちは、解決するのだという希望、希望があるからこそ活動できている。そういった姿勢に茶々を入れたくないが、もう自分としてはうんざりしてしまっている。それらがいつまでたっても解決しないのは、それらが解決してしまうと困る人たちがいるのだ、だから邪魔をしている。こうなるともう、解決策は一つしかないではないか。コロンブスの卵と同じである。

人生に満足しているから別に死にたくはないが、同時にうんざりしているからいつ死んだってかまわないという気持ち。この矛盾した気持ちに折り合いをつけるために、子どもは必要ないと思い至った。自分の子どもはいらないし、できれば誰も子どもをつくるべきではない。人間が少ないほど、問題も小さくなっていくからである。とはいえ、人間社会という視点も入れるなら、作りたい人は作ればいいということになる。社会システムを徐々に縮小させていったほうが、いきなり消えるよりもおそらくいろんなダメージが少ないだろうから。




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