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意味がひいていく

今日、山でくわを使って穴を掘っていたら掘り返した土の中からカエルが出てきてひっくり返っていた。よく見ると、目の上から血が流れていて、たぶん自分の振るったくわが当たったようだった。冬眠していたのかまったく動かず、つついたら鈍く動いた。よかった生きてたと思ってあわてて別の場所に移動させた。死なないか、三十分おきくらいに見に行った。血はたらーっと流れていた。つついたら体を膨らませていたので生きていた。

カエルを傷つけてしまったことで少し憂うつな気分になっていった。申しわけないことをしてしまった。でも一方で、小屋の中にいたカメムシはデコピンして弾きとばして何も思わなかった。死んだかどうかも気にしていない。

この違いは一体なんなんだと帰りの車の中てずっと考えていた。同じ命なのに。思い出したのは、ダグラス・ホフスタッターの本で、魂だったか命だったか、生き物によって「大きさ」が違うという思想を述べていた。虫けらは小さいから魂は小さい、猫とか犬、人間と大きくなるほど、魂の「大きさ」は大きくなっていく。だからそれに伴い、殺したときの罪悪感が変わってくる。こんな感じのことが書いてあった気がする。

納得できる部分はある。でも自分は牛肉や豚肉を食べても何の罪悪感も感じない。これはもしかしたら「遠さ」が関係しているのかもしれない。自分はカエルに直接的に手を下してしまったが、一方で普段食べている豚肉や牛肉は、自分が直接手を下しているわけではない。自分がもし、牛や豚を殺してしまえば、カエルの時よりも大きな罪悪感を感じると思う。

何にせよ、自分は、というか人間は偽善者で、人間そのものにうんざりしてしまった。憂うつが深まり、物事から意味がさぁーっと引いていく感じがした。おれは一体何をしているんだ?すべてが茶番に思える。なにカエルに罪悪感を覚えているんだ。日常のすべての行為、車を運転する、飯を食う、仕事する、人間のあらゆる行為が環境をぶち壊し、すべての動植物を絶滅へと追いやっているくせに。

現代思想の解決策は、宮台真司にしたって浅田彰にしたって、しらけつつノるというものだが、こんな矛盾したことを誰が器用にできるというのか。生きていくために仕方ないじゃないかというが、やっぱりね、もううんざりしてしまうんだよな、人間そのものに。われわれは何がしたいんだ?いつまでこんなバカげたことをやるつもりなんだろう?

すべてが、全部人間のせいなんだから、早く絶滅すべきだと思う。絶滅すれば人間が引き起こすすべての問題は解決するし、もうこれ以外に環境問題や戦争その他のあらゆる問題を解決する術はない。

 




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