高速を車で走っていると、注意すべきものが少なくなるせいか、頭が勝手に考えごとを始める。ふと、実数と虚数について思い浮かんだ。実数とは1.2.3とか√2とか、1/2とかで、虚数はiで二乗すると-1になる数字。
実数は実際に存在している数字で、一方虚数は存在しない数字と説明される。虚構の数字だから虚数。でも、よくよく考えてみると、1とか2は触れることも、見ることもできないわけで、実際に存在するとは何を言っているのかという気がしてくる。
実数というのは、つまるところ「愛」とか「社会」と同じで、愛も社会も触れることはできないし、見ることもできない、でもたしかにそこにあるよねという感じはある。この感じが実数にも当てはまって、リンゴが目の前に1個あったら、それは1という感じがそこにあると感じることができる。それは√2だろうと、1/2だろうと同じで、√2メートル進んでくれと言われたらだいたい1.4メートル進むとわかるし、そのケーキ1/2ちょうだいと言われたら、半分もあげねーよと感じることができる。
ところが虚数iは、見ることもできないし、触れることもできないのはもちろんとして、感じることもできない。そこにあるという感じがつかめない。それは存在していないからだ。でも、ミクロの世界のふるまいを明らかにする量子力学の計算式には虚数が登場する。それはたしかに、存在しているのだ。
これを説明するのに思いつくのはまず、その量子力学の計算式がそもそも間違っているという可能性。アインシュタインは量子力学に疑問を呈した。神はサイコロをふらない。ところが後にアインシュタインのほうが間違っていることが明らかになった。もっともアインシュタインが間違っていたからといって、量子力学が正しいかはわからないけれど。
次に考えられるのは、虚数が虚数ではない可能性について。虚数が存在しないのは、あくまで私たちの存在している次元の話であって、私たちの存在していない次元では、虚数は実数として存在しているわけだ。「大谷翔平は次元が違う」とかと表現されるが、こういったたとえではなく、空間上のさらに上の次元、四次元、五次元といった次元が存在していて、そこでは虚数が虚数ではない可能性がある。
私たちが、存在していると感じられるのは三次元空間までだから、それ以上の次元のものは感じることができない。でも、虚数というものが存在しているならば、合理的に考えてそれはべつの次元に存在していると考えられる。
で、奇妙なことに、量子力学は量子というミクロの世界の物質のふるまいを説明する。しかしなぜか同時に、量子力学は宇宙という極大の世界のふるまいについても同時に説明する。
思うにこれは、次元の話とマッチするのだ。一次元はつまり線で、この線は、二次元である面に含まれる。二次元の面は、三次元の立体に含まれる。一つ下の次元は、その一つ上の次元に含まれるわけだ。だから三次元空間は四次元空間の中に含まれる。三次元の立方体の中には無数の面が重なっているように、四次元空間には無数の三次元空間が重なっている。
量子力学の計算式に登場する虚数iはミクロの世界を記述する。その虚数iは四次元以上の世界に存在しているとするなら、量子力学は、ミクロとマクロの世界を同時に説明する。
よく「心はどこにあるでしょう?」という問いに、頭を指さしたり、心臓を指さしたりする。なんにせよ、私たちは心は身体の「中」にあると思っている。
自分も心は身体の中にある、感覚として他の人と同じものを持っているけど、同時に、心の中に身体があるという感じもある。身体があるというか、世界そのものがある。世界の中には自分だけでなく、全ての人がいる、自分の心の中に。これは、Aの中にBがあるかつBの中にAあるという矛盾なんだけど、これが成立していると感じる。仏教の華厳の用語で「相即相入」という言葉があるけど、まさに上のことを端的に示している。
だから身体そのものは単に三次元で、そこに時間の重なりがあって、それが四次元となっている。先に三次元空間の無数の重なりが四次元空間となっていると書いたけど、四次元空間に時間はない。心は四次元で、それに合わせるために、三次元空間で便宜的に時間を導入していると言える。もちろん、五次元空間を考えるときに、四次元空間に便宜的に時間を導入することはできるが。
なんだっけなー、『数学ガール』のポアンカレ予想を扱ったところに同じようなことが書いてあったと思う。身体を裏返して、無限遠点を加えたものが心になる?個人的に、ポアンカレ予想って心とは何かを扱った命題だと思うんだよな。心の局所空間が身体というか、心の中の一つ可能的存在が現実となっているところのものが今ここにいる自分で、それと同時にべつの局所空間にはべつの自分が存在している。それは四次元では、シュレディンガーの猫のように、生きた猫と死んだ猫が重なっているが、一つ下の次元ではもちろん分かれていて、お互いの存在は分からない。もちろん、生きた状態と死んだ状態の二つではなくて、あらゆる状態の無数の状態、二歳のときも三歳のときも、もっといえば三歳と二カ月と十二日とか、それこそ無数の枝分かれ状態がある。
まあ、今日高速を走っているとき思い浮かんだこととずっと考え続けていることをまとめてみた。