夢中で読んだ。すごい。
著者は医者でもあるからリアリティがすごい。
背骨を立てたまま過労死したヤナザキ。彼女を悼む間もなく、労働に追い立てられる公河。院是の「誰の命も見捨てない」に医者は含まれない。
何日も寝ずに働いていると、見える世界が変わるらしい。
人は眠ることで一日一日を区切っているらしい。朝が来て、世間では今日という新しい日が始まっていたが、仮眠すら取れなかった私には昨日と今日が地続きで続いている。途切れることなく続く意識ではカレンダーのように昨日と今日を二つに分けられない。このキャスター付きのイスも、昨日座ったイスではなく、十二時間前に座っていたイスだ。P45
「おはようございます」
看護師長がバックヤードから顔をだす。
「あぁ、どうも。おはようございます」声を絞り出して返事をすると、挨拶はすでに二十四時間前に済ましただろう、と人知れない徒労感が襲ってくる。二日連続働くことを強いられない者たちは、どうして昨日は声を出して挨拶した私が、今日は会釈だけで済まそうとするか知るよしもなかった。P45-46
つまるところ、全ての人間が一日単位で繰り返しを行っていた。人間だけではない。社会のシステムのあらゆるもの、そして社会を包む自然が一日単位で繰り返し、あるいは反復していた。既視感のない者は、自分たちが繰り返していることに気づいていない。P47
これ、著者も体験していたのだろうか。そうなのだろう。多くの医者はヤナザキのような世界線をたどる。でも、著者の場合は、おそらく身体の防御反応なのかなんなのか、物語が頭に流れ込んでとまらなくなった。手術中も、物語が頭に流れ込んで、患者に集中できなくなったから、医者をやめざるを得なくなった。
不思議なのが、著者はあまり小説を読むタイプではなかったことだ。インタビューでそう語っている。それなのに、彼は小説家になった。
公河の同僚の奥内が、千日回峰行を行う修行僧について語るくだり。
「あまい、あまい。もっと追いこまんと」
奥内は蔑んだ声をあげる。
「自分の命しか賭けてないから自害するっていう発想が起こるんや。患者一人おぶって、山駆けろや。そしたら、自害は最後までできひん。這いつくばっても進まな。絶命するまで修行せんと。自害やって。はは。最後の最後には逃げるんかい。その逃げ道をまずはつぶさんかい」P140
「仏さんもあまいわぁ。なんか醒めるなぁ。これやったら、患者のほうが悟りに近いな。みんな、病気なるくらい過酷に生きて、病気なってからも生きるんや。半身不随になろうが、糞もらしながらでも生きるんや。頭割れそうなくらいでなんやっちゅうねん。頭割れてからが本当の修行やろ。患者は実際に頭割れて、脳みそ壊れとるわ。今や、町で生きる方が本物の修行やな。はははは。なんや、おい、今のセリフ。おれらにはそんな甘ったれた説法通じんぞぉ」P141
奥内の坊主に対するこの毒舌は読んでて痛快だった。そうなんだよ、坊主たちは、勝手に滝に打たれて、南無南無唱えて、山の中を走り回っているだけなのだ。坊主どもの行為には全く生産性がない。一方で、多くの人が、毎日働き、子育てをし、介護している。こちらのほうが生産性があり、なおかつ世のため人のためになっているし、よっぽど修行である。それなのに、娑婆の私たちには何の称号も与えられず税金をむしり取られ、一方で坊主どもには阿闍梨だのなんだのと地位を与えられ、偉い人扱いされているうえに、免税されている。「千日回峰行」とかわざわざ行為に名前をつけて、こういうことをします!なんて宣言せんと、勝手に山の中2000日でも3000日でも走っとけや!と思うのは自分だけか?
奥内はその後、どんどんラリっていく。過労による身体の悲鳴を無視するために、医療用麻薬に手を出していたからだ。奥内は股間から赤緑色の尿と便を垂れ流す。それでも、「甘えるな」と公河から檄を飛ばされるのだった。
同じ医者の世界でも美容皮膚科は違うらしく、定時で帰れるうえに、儲かるらしい。これは、現実の世界でもそうらしく、今多くの医学生は美容業界を目指しているらしい。そりゃそうだよな、さまざまなリスクで満ちた世界にわざわざ足を踏み入れるはずがない。儲かる上にワークライフバランスが充実した美容皮膚科を目指すのは当然だ。
この物語は医者の世界の話だが、現実は、医療だけでなく、物流や建設、敎育、介護など、あらゆる業界で同じことが起こっているのであり、公河や奥内、ヤナザキのような、過労死寸前の働き手がどの業界でも増えつつあるのだろう。日本人の多くは責任感が強いから、システムを支えるために発狂するまで働く。
今後数年のあいだに、多くの過労死者と、発狂して圧倒的な創造性を発揮する巨大な異才たちが生まれるだろう。世界が日本の創造性発揮システムに注目するが、日本以外にこういったシステムは構築できない。なぜなら、日本人だけが唯一、発狂するまで自己を追い込む「道」の観念を持っているからだ。そして、この神風玉砕システムが息づく日本は急速に崩壊していくだろう。それはそれで面白い?