三回目か四回目の再読。やっぱり何度読んでも面白い。
この本が出たのは1993年で、もう三十年以上も昔だけど、今読むべき本だと思う。この小説は第一部でインチキ宗教を扱い、第二、三部でアフリカの呪術を扱っている。特殊詐欺が巧妙化し、統一教会の問題がなかなか解決しない今、世の中のクソ野郎たちが、どのようにして私たちを騙そうとしているのか、その手口やトリックが本書で示されている。
詐欺師たちが使っている手口は、結局のところ何十年も前から同じなわけで、この小説を読めば、なるほどこういうふうにして人々を騙しているのかとよくわかる。
最近テレビで韓国のキリスト教系のエセ宗教を扱った番組があって、奇しくもその手口が『ガダラの豚』のエセ宗教といっしょだった。その韓国のエセ宗教は統一教会とはべつの組織だったが、統一教会も、というかブラック企業も、個人的には地方の公立進学校もだと思うが、やり口がいっしょだった。
まず、外部からの情報を遮断する。韓国のエセ宗教や統一教会などは合宿などで信者を一箇所に囲い込む。そこでテレビやネットなど外部からの情報を遮断し、家族や友人との関係を断ち切り、個人の人格を徹底的に否定する。精神的にボロボロになったところで教義を流し込んで洗脳する。田舎の進学校に通う生徒なんかは、そもそも従順で素直な羊ばかりで上のようなことをする必要がなく簡単に洗脳できる。
『ガダラの豚』の第一部では、主人公の妻がエセ宗教に引っかかる。妻はかつて、アフリカで娘を失い、その負い目から精神を病んでいた。テレビでやっていた韓国のエセ宗教も、心を病んだ人や障害などを負った人をターゲットにして信者に勧誘させていた。
小説では、エセ宗教の尊師が空地浮遊したり、熱湯のなかに手をいれたり、刀の上を歩いたりする。この奇跡を目の当たりにしたことで、妻はどっぷりハマっていった。
なんかリアルだなと思ったのは、Mr.ミラクルがトリックを次々と明かしていっても、妻はそれを頑なに認めようとしなかったところ。やけどせずに熱湯の中に手を突っ込むトリックがあったとしても、そのトリックを尊師が実際に使ったかどうかは定かではないのだ。もしかしたら本当に超能力を使ったのかもしれない。こういう論理を妻は展開する。もし、トリックだったと認めてしまえば、そんなエセ宗教を自分は狂信していたことになる。それはプライドが許さない。しかし、結局、尊師はMr.ミラクルが暴いたとおりのトリックで信者を騙し金をまきあげていたのだった。
とまぁ、世の中に跋扈する宗教の奇跡や超能力、オカルトのほとんどは、マジックと同じくトリックがあるのであって、私たちがマジックのタネを見抜けないように、向こうも騙しのプロだから、まるで神秘が起こったと思わされてしまうのである。
だけど、そもそもこうした奇跡があると信じてしまうのは、ホンモノが存在するからである。世の中のほとんどすべてはニセモノだが、ほんのわずかホンモノが存在する。そこらへんが第二部以降で描かれる。第二部以降で登場するアフリカの呪術師バキリは、ホンモノである。だけど、バキリ自身はいろんなトリックを使って呪術を行っていることを自ら明かしていく。それでも、明らかに超能力でないと説明できないような現象も起こっているわけで、そこらへんの描き方が、さすが、天才らもさんだなと思う。
そもそもとして、本書に登場する僧侶隆心が言うように、ホンモノというのは、自分の力を使わないものである。これは『ゲド戦記』でも主人公がそうであった。力があればあるほど、それを行使すれば世界のバランスが壊れてしまうのだから、力のある者は、逆説的に力を使わなくなるのだ。だから、ホンモノは表に出てこない。つまり、一般の人間と変わらない。
だからこそ、自分は奇跡を見せられるとか超能力を使えるという人間はニセモノだと分かる。
まぁ、これはべつに超能力者とかに関わらず、本当にすごい、尊敬すべき人間は、自分のことをわざわざ自慢したりひけらかすことがないのに対し、大したことない人間ほど延々と自慢話をしたり、横柄な態度をとるのと同じなのだ。大したことないヤツほどしゃしゃり出る。
らもさんは、この小説をエンターテイメントとして書いたとどこかの本かインタビューで書いてたけど、これは単なるエンタメではなく、ある種の教養小説だと言えると思う。たぶんらもさんは、超能力とかオカルト、心霊現象の類について、世の中のほとんどのものはニセモノとか勘違いだけど、そのなかのほんの一握り、分かる人にだけは分かるといった類のホンモノがいると、だからあのように小説を書いたのだと思う。
なんにせよ、この小説は面白いから一読をオススメする。