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『関心領域』を観た

 

アウシュビッツの司令官とその家族を描く。ユダヤ人を虐殺する施設のすぐ横の豪邸で、穏やかに豊かな生活を送る幸せな一家。

規律正しく清潔に合理的に、巨悪を働くナチス。でもおそらく彼らは、自分のやっている仕事が巨悪だとは思っていなかったのだろう。彼らは、とにかく合理的に仕事を遂行しようとする。虐殺者の焼却施設の建設について、片方の部屋で焼却しその後部屋を冷却し灰を取り出すあいだに、もう片方の部屋で焼却する建物を建設しようとする。

映画の終盤、パーティーに出ていた主人公が階段を降りているところで、たぶん現代のアウシュビッツだと思うのだけど、名所となっている今のアウシュビッツを規律正しく清掃する職員の姿が挿入されている。

唐突に挿入されたこのシーンを観てて、これは推測だけど、ナチスと現代人は本質的には地続きであると製作側は伝えたかったのかなと思った。

結局のところ、主人公のナチス高官は、自分に与えられた仕事を全うしていただけにすぎない。その仕事が、一体何を意味するのかということについては全く想像しない。家族と幸せに暮らしたい、仕事をする必要がある、だから仕事をきっちりこなす、ただこれだけのことなのだ。そして、虐殺されたユダヤ人にも家族がいることは、彼の関心領域ではなかった。

現代を生きる自分たちだってナチス高官と同じで、家族と幸せに暮らしたい、仕事をする必要がある、より効率的に、規則正しくやっている、自分の仕事が何を意味しているのかについては想像しない。仕事だけでなく生活も含めて、人間のやっていることは巨悪で、もちろんユダヤ人虐殺のような分かりやすい巨悪ではないにせよ、地球環境をぶち壊し、多くの動植物を絶滅させている。そしてこういったことは、ほとんどすべての人にとって関心領域ではない。

高官の妻は、たとえ家からユダヤ人を焼却している最中の煙が見えても、無邪気に夫にイタリアに行きたいと言ったり、今の家から離れたくないと言ったり、あくまで自分たちの生活にしか関心がない。現代人も本質的にはこれと変わらない。

そして、社会の仕組み的に、今も昔も、ナチス高官のように、自分の仕事の意味を想像できない、淡々と仕事ができる人間が昇進できるようになっている。サイコパスほど上の地位につけるようになっているのだ。人や自然の傷みを想像できるような「まともな」人間は、社会的な地位を獲得できない。そういう意味において、私たちはナチスを無責任に悪だと言える立場にないと思う。

 




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