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『令和元年の人生ゲーム』感想

面白かった。

Z世代の価値観がよく分かる一冊だった。

こちらと合わせて読むと、Z世代の共通点みたいなのが見えてきた。

あくまで二冊の本から見えるZ世代の特徴であって、自分がたまに会うZ世代の子たちはそんなふうに感じないと前置きしたうえで書くが、今の20代前後の子たちは、意味がないことをすることを恐れているように感じた。たぶん上の二冊の本が描いているのは、首都圏の高学歴の子たちで、そもそも対象が限定的なんだけど。

自分がやっていること、やろうとすることに何らかの価値がある、成長できるとか、課題を解決するとか、社会に貢献するとか、そういうものが見いだせないことを恐れているように見える。無駄とか失敗、まわり道を恐れているように見える。合理的であろうとする。

とはいえ、ゆとり世代である自分が学生だったときも、スケジュール帳が何かの予定で満たされていることをリア充と呼んでいたし、意識高い系という揶揄はすでにその頃にはあったから、ゆとり世代からZ世代は地続きの価値観が共有されていると思う。Z世代はさらにそれが先鋭化されている感じ、もちろんこれは都市圏の高学歴に限る価値観だと個人的に思う。

そして、その価値観が先鋭化されすぎていて、上滑りしている、端から見ればそれが滑稽にみえる。中身が伴っていない、そしてそれを分かっていない感じが哀れに見えるが、同時に時代の余裕のなさが今の若者たちにそうさせているようでかわいそうにも思える。

たとえば、吉原の社会貢献プログラムの起業。起業自体が単なるファッションになっている。滑稽なのは、就活生にとって、社会に貢献したというアピールをするための手っ取り早い道具になっていて、実は事業として成り立ってしまっているところ。壮大な無意味。空っぽ。

 

この本を読んでいると、ちらちらと朝井リョウが思い浮かんだ。『桐島、部活やめるってよ』とか『何者』とか。

桐島のほうは、桐島が一切登場しないのに、桐島の人物像がくっきり浮かんでくるという見事な小説。

『令和元年の人生ゲーム』は、桐島とは違うのだが、似たような作品だなと感じた。各章で、沼田というひねくれた青年が出てくる。どの章でも、沼田は脇役なのだが、実は作品全体では沼田が主人公になっているというトリッキーな仕上がりになっている。脇役の沼田を通して、今の若者の価値観が浮かびあがってくる。

著者は実はゆとり世代で、朝井リョウと学年が同じか一個違いだが、すごく似ていると感じた。朝井リョウは早稲田で、麻布競馬場は慶応というところも、似ている所以だと思う。賢さというか要領の良さをとても感じる。

にしても、『破局』を書いた遠野遥もそうだが、若者をとりまく雰囲気を冷静にとらえて言語化する能力がすごいなと思う。いやまぁ、小説家なんだから当然といえば、当然なんだけど。微妙なあの感じ、考え方をよくあんなにきれい言語化してしまえるなと思う。まぁ、あの人間観察が現実でもできてしまうのはしんどいけど。

 




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