学生のとき教育学の講義で、講師が知能は遺伝か環境かと問いかけ、まわりの学生と議論することになった。どっちもだろうという意見になった。それから折に触れこの問いについて考えるようになった。そもそも知能とは何ぞやというところから始めるべきだろうが、ここではテストの得点で測れる知能ということにしておく。あの講義では、知能の定義さえ決めないまま議論していたな。
最近よく自分の頭の性能の悪さについて考える。自分は高学歴なのに、物事の理解力が平均以下だと思う。謙遜とか自信がないということではなく、よく人からバカにされたり見下されることがあるから客観的にそうなんだと思われる。
実際、うちの家系で高学歴なのは自分しかおらず、兄弟、両親、祖父母、父方母方の家系の親戚はすべからく低学歴で、本は一切読まないし、何かを学ぶということもしない。毎日テレビのバラエティ番組を観てバカみたいに笑っている。
あと、大学に入ったころ、後期の滑り止め大学だったので、まわりの学生よりも自分のほうが頭がいいと思っていたら、まわりの学生のほうが自分よりもはるかに物事をすぐに理解していて、自分は頭がよくなかったと悟ったことも覚えている。
自分がなぜ高学歴になれたかというと、ひとえにコツコツ努力できたからにつきる。東大京大レベルは分からないが、それ以外の旧帝大くらいならコツコツ勉強し続ければ、誰でも合格できると思う。実際自分もそこに手が届くレベルまでいけた。
コツコツ勉強し続けるって、百メートルを10秒で走るとか150キロのストレートを投げるとかに比べると誰にでもできることで、だけれども誰にでもできることではない。というか、ほとんどの人ができないことだからこそ、頭の性能が悪い人間でも高学歴になれてしまう。
よくよく考えてみれば、高学歴ほどコスパのいいものはない。教育学部で勉強を教えることを何年もかけて学んできたプロの教師が、教科書という懇切丁寧に作り込まれた本を、カリキュラムにそって毎日毎日ちょっとずつ解説してくれるのだ。そして、定着度合いをチェックするテストを逐一やってくれる。しかもテストの点さえよければ、だれも彼もが褒めてくれるし、東大や京大までいこうものなら、どんなバカでもすごいと理解する。コスパコスパ言うなら、みんなもっとちゃんと勉強すべきなのだ。
で、自分がなぜコツコツと勉強し続けることができたのかというと、遺伝と環境がマッチしたからだと最近気づいた。
自分の両親は頭が悪い、話していてバカだなと思う。でもどちらも、工場で延々と単調な作業をすることを苦に思わない。何十年も工場で働いている。一方で、自分は工場で働くことができない。単調な作業をしていると頭に靄がかかる。この前タイミーで工場で3時間働いてみたが、3時間が限界だった。自分は、コツコツやれる才能を両親から受け継いだが、そのベクトルが異なったようだ。
そのベクトルが勉強に向いたのは、学校のおかげだったと思う。両親が全く本を読まないのに、読書する習慣が身についたのは教師のおかげだし、勉強することが苦にならなかったのも担任の巡り合わせが良かったからだと思う。
そう考えると、知能は遺伝か環境かという問いに対して、遺伝×環境というのがベストな解答だと思う。知能のベクトルは、遺伝×環境なのだ。