以前、他人の意識と自分の意識を交換することが技術的に可能となった世界はどのようなものになるのだろうと思考実験してみたことがあった。マッチングアプリみたいなプラットフォームがあって、そこで交換したい相手を見つけてお互いの意識を交換する。たとえば、自分が大阪に住んでいて北海道に旅行したいというとき、北海道在住の人と意識交換することで、その人の身体に自分の意識を宿らせ旅行することができる、どこでもドアのように。あるいは、耳が不自由な人が健常者の人と意識交換することで、音が聴こえるようになる。逆に、健常者は耳の聴こえない世界を体験でき、障がい者の世界を知ることができる。
この前図書館をウロウロしていたら、このような技術を学問として研究している人の著作があって、おぉ!となった。
この人は早稲田で、上に書いたようなことを技術的に可能とすべく研究を行っている。人だけでなく、アバターなどのロボット、動物にまで人間の意識を移動させることを研究し、デバイスの開発をめざしている。
技術的な話は本に譲るとして、このようなことが可能になった世界ってどういうものになるのだろうと想像してみることは楽しい。小説が書けるのならそれはSFになるのだが、カズオ・イシグロが『わたしを離さないで』で描いたような人間模様も想像できるようになりたい。
まず、身体の個性による格差が際立つ世界になりそう。今でも、モデルとか俳優のようなルックスがものいう世界もあるが、BODY SHARINGが実装された世界では、たとえば障がいがむしろ個性になる世界になるだろう。標準的な身体が一番価値のない身体になり、そこから離れれば離れるほど価値のある身体という世界になる。目が見えないとか百メートルを9秒台で走れるとか、数字に色がついて見えるとか、珍しい能力や特徴を備えた身体が価値ある世界になる。薬物でラリった身体も価値があることになる。自分は薬物をやる気はないけど、薬物でラリった人間が見る世界、特にLSDとかメスカリンをやった人間が見るような、幻想的な世界を見てみたい。でも、そのために自分の身体を犠牲にしたくはない。こういう人間は、ラリった人間とBODY SHARINGしたらいいということになる。
BODY SHARINGが実装された世界では、必ず身体を売り買いできるようなプラットフォームが登場し、私の身体一時間いくらみたいな「売春」が行われる。百メートル9秒台で走ってみたい人は、その人の身体を買い9秒台の世界を体感することができる。
新たな犯罪も生まれるだろう。たとえば、殺してやりたいほど憎んでいる人がいて、そいつの身体に意識を移動させた後、自殺するという復讐方法が生まれるだろう。そのとき、死ぬのは一体「誰」になるのか?消失するのは、意識なのか、身体なのか?誰の意識、誰の身体なのか?
不老不死の世界も実現するだろう。大富豪は金で身体を買う。自分の身体が老いたら、適当な身体とBODY SHARINGしながら、自分の意識を永久的に乗り換えていくことで不老不死を実現する。同時に、BODY SHARINGされるための産業も生まれる。つまり、富豪とSHARINGされるための身体を持った存在が生産される。これはカズオ・イシグロが『わたしを離さないで』で描いた世界と全く一緒だ。あの世界は、臓器移植のためのクローンだけど。
あと、多重人格者が存在する以上、一つの身体に一つの意識ではなくても良いわけで、一つの身体に複数の人間の意識を移動させることも可能になるだろう、大型バスみたいな感じで。そうすると、一人の人間の身体で同窓会みたいなこともできるかもしれない。多重人格者は、イメージ的には部屋のなかで人格が会議しているような感じらしい。スポットライトがあって、そこにたった人格が表に出てくる。だから、一人の身体に、遠隔地に住むみんなが集まって、同窓会したり会議したりが可能になる。