朝起きて顔洗って歯磨いて、台所に行くと犬が椅子の上にいる。グラノーラ食べてコーヒー飲んで、片付けようとすると、犬は椅子を飛び降りてさぁ散歩だというようなニヤケ顔でこちらを見ている。犬を散歩に連れてくと、近所を散歩してるじいさんとか車とかが近くを通り過ぎていく。
こういうときふと思う。自分がもし犬を散歩させてなくて、ただそこら辺に佇んでいるだけだと、散歩するじいさんも犬を横目に見ていく運転手も、「こいつは何をしているのだろう」と思うだろうということを。
何か目的を持って行動している人間を見るとき、そこに疑問や疑念をはさまない。あぁこいつは犬を散歩させているのだなと思うだけだ。しかし、何もせず道端でぼーっとしていると「こいつは何をしているんだ?」と途端に注目し始める。田舎だと特に、そいつは怪しいやつ認定され、人によってはさらに進んで危ない認定されることになる。
『路傍のフジイ』というマンガの主人公フジイは、独身中年男で、何を考えているか分からないやつだと周りから思われている。そんなフジイが公園のベンチに座ってぼーっとしていると、公園で子どもを遊ばせている母親たちがフジイが何かするのではないかと不安そうに彼をチラチラ見ている。フジイはいたたまれなくなって公園を立ち去る。
これがたとえば、フジイが犬を散歩させてたり、弁当を食べていたりすればまだ、変な目で見られることはなかったと思うのだ。でも、何もしていないという状態は、他者からみれば、良からぬことをする可能性があると解釈されるわけで、母親たちが変な目で見るのは仕方ない。そしてフジイの人柄を知る読者からすれば、なんともいえない切ない気持ちになる。
だけど、常に何か目的をもって行動するというのはしんどくて、だらだらとぼーっと何もしていない、無為な時間を過ごしたい。
何もしていないが、誰にも怪しまれない方法はないかなと犬の散歩をしながら考えるのだが、特に思い浮かばない。そんなときスマートニュースで、元ニートのphaの本が紹介されている記事を読んで、おぉこれだと思った。
https://l.smartnews.com/m-Nfhf8/nJcsbt
アートに興味がないのになぜ直島に行ったかというと、観光客が多い島だと自分が目立たないと思ったからだ。
一人で特に観光地でもない島に行った場合、よそものが他に全然いなくてすごく目立ってしまって、地元の人たちに「こんな何もない島に一人で何しに来たんだろ」とか「自殺や犯罪をするつもりじゃないだろうか」みたいな目で見られるんじゃないかというのが怖かったのだ。直島なら「あ、僕アート好きなんでアート見に来たんですよ」という顔をしていれば一人旅でも不審がられない。大きいカメラをぶら下げて旅をすると「写真を撮りに来た人なんだな」と思われて、辺へん鄙ぴな場所で一人旅をしていても不審者感が薄れるというテクニックと同じだ。
この件を読んでいて、なるほど!と思った。擬態するのだ。何か目的があるフリをする。これはいい。
まぁでもこういうのもめんどくさいなぁと思うこともあるわけで、だから東京とか大阪みたいな何もしてなくても注目されない、怪しまれないところに行きたくなる。