本屋で見つけた一冊。
作者の長田幹彦は1887年〜1964年の人で、幼少期からの心霊体験が本書で綴られている。
創作ではなく実話で、彼だけでなくその周りの人たちも霊を見ている。
この本を読んでいる最中に、内山節の『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』を思い出しこちらをあわせて再読した。
こちらの本は、1965年以降日本人がキツネにだまされなくなった理由を考える一冊。内山によれば、お年寄りの話を聞いていると、なぜか1965年を境にキツネにだまされる人がいなくなったという。
自分は、今まで霊を見たこともなければ、キツネにだまされたこともない。現代人のほぼすべてがそうだろう。一方で、昔、といっても何十年か前までの人にとっては、おそらく普通に霊がそこにいるのも、キツネにだまされるのも当たりまえだった。
内山は、キツネにだまされなくなった仮説の一つとして世界のたち現れ方について話している。自己は世界の一部で、その世界(村社会)では、こちらの世界とあちらの世界がつながっているということが信じられている。たとえばお盆の迎え火とか送り火は、今では形骸化しているしやらないところも多いけれども、かつてそれは先祖の霊が帰ってきたという実感がリアルなものだったのだ。霊がそこいるという感覚、実感。現代人には失われた感覚。
霊と書いた途端、現代人はうさん臭く感じてしまうけど、たとえば山菜採りやキノコ狩りの名人は、自らの嗅覚でどんどん見つけていく。スーパーで購入する現代人には失われたものだ。それは名人に身についたものというよりはむしろ、かつて人間は採集狩猟民だったのだからみんな持っていた感覚で、しかし現代人にはもう必要ないものだからその感覚は消失した。おそらく霊を感じる感覚もこれと同じだ。金さえ出せば自分は何もしなくても生きていける世界になったことで、現代人からはさまざまな感覚や能力がなくなっていった。もちろんこの時代に必要な能力が新たに習得される場合もあり、それは自分の属する世界が規定している。ただの紙切れをみんなで信じこんで肉や魚と交換しているところを原始人が見たら腰を抜かすだろう。
面白いことに、キツネに日本人がだまされていた頃、日本にやってきた外国人は一切キツネにだまされなくてみな驚いていたという記述がのこっているらしい。
同じ空間にいても人によって見えるものが異なる。世界の現れ方が異なる。これってすごく面白いなと思う。
人によって、と書いたけどその人が属する社会が現れ方を規定していて、自分に霊が見えなかったり、キツネにだまされないのは、社会が霊やキツネの化かしを否定しているからである。一方で、一人発狂した者がいて、それを神が取り憑いたと思った人たちがいたからこそ、大本教や天理教が生まれた。つまり、人が社会を作り、社会が人を作るといえる。この時代に、電子レンジにメールが届いたという者がいたら、精神疾患を疑われる。神が取り憑いたとは誰も思わない。だからこそ、現代では霊は見えないし、キツネにもだまされない。キツネに化かされたと友達に言うと、昔ならよくあることだと言われ、現代なら病院に行ってこいと言われるだろう。
同じ空間にいても解釈が異なれば世界の見え方も異なるのだろうか。
この前なんとなしに、雑誌アエラを読んでいると、しいたけの相談室という連載があって、たしか相談者の家の家電かなにかが立て続けに壊れて、これはなにかのサインとか予兆だろうかみたいな相談があった。うろ覚えだけど。で、回答者のしいたけも同調して、自分も以前似たようなことがあったと書いていた。たまたま時計を見たら2時22分22秒みたいなゾロ目が続いた的なことが書いてあったような気がする。うろ覚えだけど。
読んでて驚いたのが、家電が立て続けに壊れたとか時間がゾロ目だったとか、そういうことに意味を見出す人がいるということ。自分はそういうことに意味を見出したことは今までなかったから驚いた。振り返ってみたらたしかに不思議なことは自分の人生でも何度かあるけど、それがなにかのサインとか予兆だとは思わなかった。
とはいえ、映画マトリックスでも、ネオが同じ猫が二度通りかかったのを見て「デジャブ」と呟いたのを見て、モーフィアスたちはマトリックスに変化が加わったと気づいたシーンがあった。ネオはそのときデジャブが何を意味するか知らなかったから「デジャブ」と呟いただけだが、他のメンバーはそこから危機を感じすぐに行動した。
この世界にも、人には見えていないものが見える人間がいても不思議でないし、同じものを見ててもそこに意味を見出す者と見出さない者がいる。これはべつにオカルトでもなんでもない。リンゴなどモノが落ちるのをすべての人が見てても、ニュートンだけが唯一万有引力を発見したことを考えればよく分かる。
たぶん多くの人が自分の属する世界にうんざりしていてそこからトリップしたいと願っている。でも世界は強固だから、霊を感じようとしてもできないし、キツネにだまされることもできない。けれども、世界という檻の中から出る方法はあるはずで、簡単なところでいえば優れた文学とか映画とかマンガやアニメとか、そういうものが自分をトリップさせてくれる。難しいのは、オウム真理教や統一教会だとか自己啓発セミナーとかが、世界や自分を変えたいという欲求を利用して、世界そのものを破壊しようとしたり、金を搾り取ろうとすることだ。うまく自衛しないと人生を破壊されることなる。
いろいろと書こうと思ったことがあるけど忘れたのでいったん終わる。