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『ことば、身体、学び』感想

本屋で大人買いしたなかの一冊

元陸上選手と言語学者の対談。良かった。

自分も陸上をやってたからもちろん為末さんのことは知っているし、テレビのコメンテーターもやってるから頭もまわる人なんだろうと思っていたが、想像以上に言葉の表現力が素晴らしくて、すげーと思った。トマピケティの『21世紀の資本』も読んでるとか、本のチョイスもレベルが高い。

為末さんは子どものときからたくさん本を読み、自分の身体の動きを言語化する習慣があったとのこと。普通はコーチをつけるが、為末さんは自分一人で、仮説を立て実行してみてと練習してきた。だから、身体の動きに対するボキャブラリーと表現の的確さがすごい。

自分はただ漫然と、部活の顧問の立てる練習を何も考えずやってただけだったから、自分の身体の動きに違和感があっても、あれおかしいな、でもどうしたらいいか分からないで終わっていた。違和感を伝える言葉も持ち合わせていなかったから、説明しても顧問に伝わらなかった。

この本を読んでて、スポーツに限らず、人生そのものに対しても、能動的にダイブするというか、ただ漫然と生きるのではなく、自分の人生に対して自分で頭で考えて動くほうが充実感があるというか、深みに到達できると感じた。うまく言えないが。為末さんの言葉は、自分の頭で考えたと人に思わせられるだけの重みがある。それはやっぱり、誰かからの借り物の言葉ではなく、自分の身体から出てきた言葉だからだ。

言葉の体系は一個の閉じた島宇宙のようなものだが、じゃあ初めはどうやってそこに参入するのかというと、身体性だという。言われてみればそりゃそうだと思うが、言葉という概念、物理的に存在しないものが、身体を通すことで、意味のある重みを持つというのは、なんだかおもしろい。すると身体を持たないAIは、言葉を本当の意味では理解できないことになる。

で、同じ言葉を使うにしても、たとえば米津玄師とか松任谷由実の歌詞は、聴く人の心の奥底にまで届く。一方で、そこらへんのよく知らないアマチュアの歌は全く響かない。才能の差と言ってしまえば身も蓋もないが、なぜ同じ日本語の、同じ言葉を使っても違ってくるのかというのは、ずっと気になっていることの一つだ。言葉というのは本当に不思議だ。

プロであればあるほど、言葉による解像度は高くて、スポーツ選手であれば筋肉のどの部位をどう動かせばいいパフォーマンスになるのかを熟知しているようだ。パフォーマンスを良くするために、どうすればどのようにレベルアップできるかということが分かっている人間のほうが、やみくもに努力するよりもちろん上達が早い。そして、うまく行かなかったときに戻ってこられる場所、基本の動きを知っている。大谷翔平はこれをちゃんとできる選手だからこそ毎年毎年レベルアップしているというのをどこかで読んでて、だからこそ為末さんの言ってることがすんなり理解できた。

今井さんの、本を深く読むことも大事だけど、これは読む価値があると見極められる能力はもっと大事という話は興味深かった。同じ話か分からないが、以前ラジオで芸人の又吉が、読むべき本が光って見えると言っていた。光って見えるというのがメタファーなのかは分からないが、自分の場合、これを読みたいと思ったときに手にとっておかないと、次来たときその本が見つからなかったりするんだよな。一期一会なのだ。だから、読みたいなと思った本は、その時に金を惜しまず大人買いしてしまい、予想以上に金を使ったことを少し後悔する。

他にもいろいろと興味深いことが対談で出てくるのだが、うまく説明できないのでこれくらいにしておく。

 




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