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新しい概念に出会う感覚

今日、ネットサーフィンしてたら「ソリタリー」という概念に出会った。一人でいても寂しくない人のことをソリタリーというらしい。自分やんと思って調べてみたら、ソリタリー診断というのがあって、やってみたら全部当てはまったので、自分は完全ソリタリー人間だということが分かった。

https://one-sheep.org/solitary-features/

新しい概念に出会って、それが完全に自分を表現している。ソリタリーが明石家さんまの番組で紹介されたとき、多くの人が「救われた」と思ったようだ。自分は、自身がソリタリーと分かったとき、へぇ〜と思っただけだった。

自身が何らかのマイノリティに属するとき、周りからは変わっているとかおかしいと思われる。だから悩んだり苦しんだりする。そんなときLGBTQとかソリタリーというような概念に出会うと、マイノリティではあっても同じ性質を持つ人が自分の他にもいるんだと思えるから「救われた」となるのだろう。記号というのは便利だな。

一方で、記号化されていない状態のマイノリティに属する人もいるわけで、そういう人はしんどさや生きづらさを抱えているかもしれない。分かりやすいのは、超特殊な性癖を抱えている人。

朝井リョウの『正欲』はこれを見事に問題化したすばらしい小説だった。

水に性的興奮を感じる人は超特殊だ。物語の主人公たちは水に性的興奮を抱き、異性や同性には性的興奮を感じない。記号化されていないから、誤った判断をくだされる。そして、不合理な状況に追い込まれるという物語。傑作。

『正欲』はあくまで物語だけど、たとえば「生まれ変わったら道になりたい」という名言を残した神戸の青年も、もしかしたら同じかもしれない。彼は何度も、道路の側溝にしのびこみ逮捕された。容疑は、側溝から女性のスカートのなかを覗き込んでいた、というもの。彼の性癖が、女性のスカートを覗くことによる興奮という一般的なものなのか、あるいはそれをしているという背徳感によるものなのか、それとも側溝と一体化するという超特殊なものなのかは分からない。

もし彼が、側溝と一体化することによって性的興奮を得られるという超特殊性癖を持つ者だとしたら、この社会で生きていくことがどれほど困難なものなのか、想像がつかない。しかも、苦しいのはその性癖は自分で選択したものではないというところだ。

ニュースでは、彼はあくまで女性に性的興奮を抱く一般人の扱いで、側溝に忍び込むただの変態だった。女性に性的興奮を抱く、だから側溝に忍び込んでそこから覗いたり盗撮した。果たしてそれは本当なのか?『正欲』の帯で、高橋源一郎が「みんなのヒミツ、暴かれた。朝井さん、やっちまったね。どうなっても知らないから。」と推薦していたが、まさにそのとおりで、本当は社会を揺るがすような重要な問題なのだ。なぜ誰もこれに関してもっと考え公にしないのだろう。臭いものにはフタをするのが正解なのか?

今日ソリタリーという概念に出会って、自分はへぇと思っただけだが、今後ソリタリーという概念がもっと一般化していけば、ソリタリーの人にとっては今より生きやすい社会が訪れるだろう。LGBTQが一般的な概念となり、行政も制度として支援し始めたり、社会もおかしな人ではないという風潮になったように。

この世の中には誰からも理解されないような特殊性癖を持つ人はたくさんいるだろう。それは隠すべきものだから表には絶対出てこないし、もし表に出てきても、「正欲」の登場人物のようにべつの解釈をされるだろう。そして自分自身でさえももしかしたら気づいていない場合もある。

多様性の時代とはいうが、多様性は一体どこまで許してくれるんだろうな。ソリタリーは、一人でいても寂しくないという、付き合いにくいやつだなと思われるだけで特段社会に迷惑をかけないタイプのマイノリティだから問題ないだろうけど、側溝にいるときに性的興奮を抱く人間は認められないかもしれない。たとえ女性のスカートを覗くことに性的興奮を抱かなくても、それと側溝にいることによる興奮は、端からみれば区別のしようがないのだから。もしこれが許されてしまったら、側溝に入り込む輩が増えるだろう。女性ではなく側溝に興奮していたと言い逃れできるのだから。

病気とかは特に記号化してあるとすごく救われた気持ちになる。原因不明、病名もないみたいな病にかかると絶望するだろうが、病名のある病なら何らかの治療が受けられるわけだから。

一方で、以前読んだはてなブログの記事で、自身のツイートに対し、言語化してもらえたおかげでもやもやしていたものがスッキリしましたというお礼が来て、逆にもやもやしたというものがあった。自分はどこまでも言語化から逃れていきたいのに、という内容だった。人間というのは実にひねくれているなぁ。まぁ、こういう何でも記号化して、その文節された世界に囚われている状態から離脱して、すべてが一つになることを目指すのが悟りなのだろうし、言語化から逃れ逃れて一である存在を天上天下唯我独尊というのだろうし。よくわからんけど。

あぁでも、ソリタリーという概念にはへぇと思っただけだが、それとは逆に、人と会っておしゃべりすることで元気になる人がいることを知ったときは驚いたな。

ソリタリー人間は、人と会うととにかく疲れるのだ。人と会うのがダメなわけではないが、ずっと人といる状態だと発狂する。一人の時間がないとつぶれてしまう。一人でいる時間に充電することでやっと人と会うことができる。だから、逆に人と会うことが充電することになる人間がいるということをネットニュースで知ったときは、信じられん!と驚いた。まぁむしろそれのほうが普通なのか。

 




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