皆さまこんにちは。
2020年頃、当ブログでしばらく、ねここんにゃくについて調べていたことを覚えてくださってますでしょうか。
ねここんにゃくというのは、JR住道駅前の寝屋川護岸にある謎の壁画のことです。

正式名称は「ねここんにゃくのししそんぞん――みどり」、正木純子さんという作者名が添えられている以外はなんの情報もありません。最初自転車で通りがかったときは単なる緑の掲示スペースかと思って通り過ぎ、しかし「ん?」と思って引き返して見てみたらばどうやら作品らしいということが分かり、どうにも気になり始めてしまったのでした。ところがインターネットで検索してもまるで情報が出てこない(現在もわたくしめのブログ以外はほぼ何も出てきません)。この壁画は一体何……というところからねここんにゃく探索が始まり、その経過は、以下の三記事にまとめております。
ここまでに調べたことを要約しますと、
・まず大東市に問い合わせたところ、昭和60年頃大阪府によって設置されたものという以外大東市には情報がないとのことだった。
・そこで大阪府河川室に問い合わせた。大阪府河川室によると、壁画は昭和60年(1985年)「寝屋川・恩智川堤防壁面キャンパス企画」として公募したものであり、当時の審査委員は高橋亨氏(大阪芸術大学)。作者の「正木純子」氏は、当時の肩書は「セラピスト・遊戯療法」。
・以上の情報を受けて、河野敬太郎「恩智川堤防壁面キャンバス」(大阪府『建設技術発表会論文集 第13回』1986.6、pp.168-173)という資料を調べたところ、或る程度詳しい経緯が得られた。「ねここんにゃくのししそんぞん」は応募総数92点の中から選ばれた2点のうち1作品であるとのことで、審査の基準も記されていた。ただ、作者の情報や当時の審査委員たちの詳細な評価については分からず。
・作者の正木純子さんに関しては、インターネットでは現在の情報は見つけられず。ただ、『わたしの仕事5 命と健康を守る人』(今井美沙子・今井祝雄、理論社、1991)という本で同名の人が「セラピスト」として1988年にインタビューを受けており、おそらく本人であると思われる。発達障害のある子やその親のケアの仕事について語られている。
・『美術手帖』のバックナンバー(1984年8月号)に正木純子さんというアーティストの個展「だんだんヲミテハッタ」(アートスペース虹)のレビューが掲載されており、おそらく同一人物。
・読売新聞1992年9月5日夕刊に正木純子さんの「幾千の月、水に浮べて」(奈良県天河大弁財天社)というインスタレーションが紹介されており(室井絵里氏による記事)、記事内で「ねここんにゃく」という言葉についての言及が! 「あちらの世界とこちらの世界をつなぐ通路」「癒しを積極的に開かれたものとしてとらえる転換の場の表現」を正木さんは「ねここんにゃくのまたたび」シリーズと呼んでおり、この言葉は彼女がセラピストとして働く現場の子供がパニックに陥ったときに発した叫びであるという。
・正木純子さんの活動についての記述は、上記の記事以降のものは見つけられなかった。よって少なくとも1992年までは美術家として活動しておられた、ということしか分からない。また「『ねここんにゃくのまたたび』シリーズ」ということは他にもねここんにゃく的なものが存在するのかもしれないが、それについても不明。
なんか気になるよ~~というところから始まったねここんにゃく探索が、「言葉にならない叫びと表現」「表現とセラピー」といった、まさに自分もこだわってきたテーマと近いところにたどり着いたところに驚くと同時になんか納得し、その後これ以上調べていなかったのですが、先日国立国会図書館デジタルコレクションに登録したので検索をかけてみたところ、その他のねここんにゃくの存在を知ることができたので5年ぶりに報告します!
■ 『日本美術工芸』(559)1985.4 pp.96-97
当時の各地の展覧会から一作品取り挙げて論じるというコーナーで、大阪府立現代美術センター「第3回吉原治良賞美術コンクール展」から、正木純子「ねここんにゃく」が取り挙げられています。

図版はモノクロなので色彩が分かりませんが、説明によると、横長の画面の上と下から何かがはみ出している・画面の全体が均一に真っ赤に塗られている、とのことですので、「ねここんにゃくのししそんぞん――みどり」の緑部分がこちらは赤になっているようです。赤い画面の上下からはみ出している部分は針金に布を張り着色してあるとのことなので、写真では分かりませんが、布を用いた立体的な作品だったんでしょうか。
ミニマル・アートの一種のようだがそうではないというのが筆者の評価です。筆者は、この赤い画面は多彩なはみ出し部分を覆い隠すものであり、よってその赤はただの赤ではなくいろいろな色をその中に持っていた赤であるとしています。つまり、何も描かれていないはずの赤い画面が、或る種の厚みをもって感じられるのであると。ちなみにこの筆者は高橋亨氏。「寝屋川・恩智川堤防壁面キャンパス企画」の審査員の方ではないですか!
「ねここんにゃく」という言葉についても以下のように記述があります。
この作者はまだ若い女性だが、情緒障害や自閉症などをもつ子どもたちを対象とするカウンセラーの仕事をしながら美術に関心をそそいでいる。(略)ネココンニャクはそのこどもたちが教えたことばなのだ。こどもたちはなにかのことで追いつめられた境地にたったとき、ネココンニャク!と叫ぶのだそうだ。なぜかはわからない。どういう意味がこめられているのかもわからない。ただ必死のことばであるのだろう。
■ 『三彩』(457) 1985.10
大須賀潔「Art Review 展評京都」という記事で、正木純子「ねここんにゃく」がとりあげられています。「吉原治良賞の六人展」(大阪信濃橋画廊)で展示されていたそうで、他の作品と並んで「平面での表現をとびこえようとしているところに面白さがある」「色と素材とを軽く楽しみながら自分の個性に結びつけている」という簡潔な評があるのみですが、このページはカラーページであるので、カラーのねここんにゃくを見ることができます。写真で見る限り、例によって四角い画面が中央にあり、画面全体は薄い青で塗られているようです。そして例のカラフルなはみだし部分がその画面の中央にある点が他のねここんにゃくと異なっています。そのうえで上下にもはみだしがあり、上側のはみだしはちょっと雪山のようにも見えます。

■ 『版画芸術』14(55) 1987.4 pp.190-191
那賀裕子+貞彦「関西版画展評・版画のマニエリスム現象」という記事で、いくつかの作品とともに正木純子の版画作品「ねここんにゃく」が紹介されています。

ここで紹介されている作品は「色彩の布を重ねた正木のオリジナルの作品がシルクスクリーンにうつし変えられたいわばコピー」であると述べられています。
『日本美術工芸』の記事と合わせると、どうやら原初のねここんにゃくは布+キャンバスで作られており、それがのちに平面化されるようになり、われわれが寝屋川護岸で見ることのできる「ねここんにゃくのししそんぞん」もそういう意味でのししそんぞんなのであるということなのでしょうか?
記事の画像がモノクロなので色彩の詳細は分かりませんが、このねここんにゃくは縦長のようです。
以上、寝屋川護岸のねここんにゃく以外にも、少なくとも三点のねここんにゃくが存在するらしいことが分かり、
・いずれも1985、6年の作品。
・どうやら最初(?)のねここんにゃくははみだし部分が布で作られていたらしい。
・画面部分は緑の他に、赤や薄い青(たぶん)があった。
ということが分かりました。また『版画芸術』の他の号(15(56)、1987.4)には、タイトルだけですが、「ねここんにゃくのししそんぞん―赤、―緑」という版画作品が見られます。
この他にもねここんにゃくシリーズが存在するのか、正木純子さんは今も制作されているのか、障害をもつ子ども(たち?)の叫びであったという「ねここんにゃく」をどのような意図でこれらの作品に冠したのか、寝屋川護岸の壁画に「ねここんにゃく」を応募したのはなぜか・選ばれたのはなぜか……などなど、気になることはまだ多いです。
ネットを見る限りでは今のところ私が最もねここんにゃくのことを考えている人間であるような気もしないでもないですが、ひきつづきねここんにゃくのことをご存知の方がおられれば、お教えいただきたいです。
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「ねここんにゃくのししそんぞん」と関係はないですが(あるいは関係あるかないかは分かりませんが)、国会図書館デジタルコレクションで「ねここんにゃく」を検索してみたらば、以下のようなねここんにゃくもヒットし、興味深く思いました。
・言葉遊びのわらべ歌のしりとり歌の中で「ねこ こんにゃく」と続くものがいくつかあるようですね。たとえば「嘘じゃ蛇の目」という歌では「けんけんばたた たぬき きつね ねこ こんにゃく」って一節があるらしい。(『日本わらべ歌全集18』柳原出版より。津名郡津名町志筑の歌とされています)
・『中枢神経障害へのアプローチ : 身体の平衡・きこえことば』(金原出版、1973)という本がヒットしたので何かと思ったら、「構音検査用語表」の鼻音N項目に「とのさま・なす・ねこ・こんにゃく・きのこ……」とありました。この本は該当箇所を拾い読みしただけなので詳細は理解できていませんが、構音障害をチェックするための語のリストだと思います。知的障害のある子が構音障害もある場合がありますが、正木さんがセラピーの対象としていた子たちも、もしかしたらこうした語のリストで構音の検査を受けたことがあったのかも……? などと想像しました。