最近は、徒歩にハマっています。
ここ数年は自転車で長距離を徘徊するのにハマっていましたが、この夏なんやかんやずっとぼんやりしていたため、これでチャリで無茶したら事故ってしまう……ということで徒歩に切り替えました。
ってかもともと歩くのは好きで、けっこうな距離を歩くほうです。思い出せば、高校の内申書にも「趣味は散歩」って書かれたんだった。(内申書って本来は見たらあかんやつやったと思うんですが、もらっていた内申書がある事情で不要になったため「どんなことが書いてあるんやろ……」とドキドキ中を開けてみたらば、「温和で温厚、趣味は散歩」という他に取り得のない隠居老人のような評が書かれており、「大学に伝える価値一切無い情報やん!!」とめちゃ笑いました。でも担任はすごくいい先生だったのです!)
なんかいきなり話が逸れましたが(いつものことですが)、さいきん大阪市から京都市まで徒歩で行ってみたい……という気持ちが生じ、「府境あたりを歩いている」という夢をやたら見るようになったため、先日歩いてきました! 結論からいうと残念ながら京都市には入れなかったのですが、京都府には入ることができました。せっかくなので前から気になっていた「京街道」を辿ってゆくこととしました。以前に、自転車で京都-大阪間往復をしたことはあるのですが、その際は主に淀川沿いを走ったので、また違う道です。本当に「京街道」が京へと続いているのか知りたい!!
このサイトのマップに沿っていくこととしました。
ただし私は地図を見る能力が非常に低いため、「多少街道から逸れてもOK」というルールにしました。
装備はこんな感じ。べつにウォーキング用でもなんでもないがなんか歩きやすい靴(かつてコレで奈良を3万歩あるいたのでたぶんいけると判断)、ソーシャルメディアとか書いてあるカッコイイ鞄。

あと一応100均の膝サポーターを装着しました(長距離チャリの際に膝を傷めたので)。
道中のあれこれは、LINEのひとりグループ(自分しかいないグループ)に記録しながら進むこととしました。

では、まいりませう!
■ 京橋から守口市へ
京街道の起点は天満橋付近らしいですが、諸事情により、ちょいとカットして京橋駅からスタートすることとしました。時間は電車の走り始めた5:45頃。駅近くには、「京みち」を示す道標もあり、昔の旅人になったようでテンション上がります。

JRの高架に「京街道」の文字。「京橋」の名がそもそも、京へ続くことに由来しているんですよね。

例の真実の口のある商店街へ入ってゆきます。夜は酔っぱらいたちがひしめく商店街ですがこの時間はひっそり。少し歩いた広場に「京かいどう」の説明板があります。

ここから北東へ、住宅街の間を縫っていきます。柴犬の早朝さんぽに連続遭遇して嬉しい。
かっこいいY字路

ねこちゃんが横切っていった
野江水神社横の交差点に出ます。6:00頃。夜が明けてきました。ここは五叉路なので、京都碁盤の目脳である私は思考が早くもストップ。
ここから関目へ出るのですが、早速道が分からなくなりました。道が分からなくなるの早すぎる。たぶんマップにある道とは違うであろう道をとりあえず抜けてゆきます。
なんか素敵なお店
エリ先生
良い看板

BIG BOY の隣には半円形のステンドグラスが素敵な建物。関目の交差点です。
素敵なY字路に素敵な喫茶店。その傍らに京街道の碑があります。



大通りから離れ、細い道へ入ってうねうねとゆきます。このあたりは「関目七曲がり」と呼ばれ、城下町ゆえ意図的に複雑に作られた通りなのだそうです。へ~~。
自己LINEで尿意を訴える私。珈琲飲んで出たからね…

短い間隔で「京かいどう」の碑がたくさん建っています。これ、大阪市過ぎると見かけなくなったので、市が建ててるんですかな?



エエ感じの商店街に出ました! まだ店はどこも閉まっていますが。

ここは森小路京かい道商店街。商店街の名前に「京かい道」(なぜか混ぜ書き)が冠せられています。心惹かれるお店が多かったので、今度店が開いてる時間に来ようっと。
森小路には「森小路遺跡」ってのもあって、古い土地のようです。近くに「千林」もあるし、かつては鬱蒼としたところであったのだろうなあ。



気になるお店がいっぱいあるな~~。どこも看板が素敵!





一瞬千林商店街を通ります。千林商店街は大好きなところ! 喫茶店の一角に灰皿とともに囲われている京街道碑が、「飼い京街道碑」みたいで可愛かったす。

このへんのコンビニでトイレ借りました。出てきたら空が明るくなってました。さんぽ中の柴犬に挨拶されました。かわい~~。
貸店舗の札が出た建物の壁のレリーフ。元は何のお店だったんでしょう?


木犀の陣屋跡。
かつてここにあった邸宅に立派な木犀が三本あり、蒲生や関目まで香りが漂ったとあります。ほんまに!? 蒲生から小一時間くらいあるけど! それを愛でた徳川家茂がその邸に宿泊したんだとか。この一帯は古そうな蔵とかも建っていました。
このあたりは細い裏道と広い表通りを行ったり来たり。


で、7:00、守口市に入りました! ひとつめの市境を越えたぜ。うわ~~い!

■ 守口宿
大阪市内はなんとなーくの土地勘はありますが、守口市は駅前以外ほぼ何も知りません。わくわく!
歩いているときって何らかの音楽が頭を流れ続けることがよくあるんですが、こんときはピーズ@TRADを観た直後であったのでこうなっていました。

車や自転車だと何気なく通り過ぎてしまう街角にも、歩くといろんなものがあるなあ。実悟上人荼毘所旧跡。93歳まで生きてはったん!? ほんま??

京阪中通り商店街。ここもいいな。

この日はハロウィン前だったんですが、ここで今年初めてクリスマスの跫を感じました。忙しないよォ。

寄ってきた猫。さくら耳だったので地域猫でしょう。この後、地元のお年寄りに呼び寄せられていました。

少し歩くと京阪の守口市駅。そして駅前が「文禄堤」跡であり京街道守口宿でもあります。以前、守口駅前はなんかのときにウロウロしたんですが、そのときはここが宿場町だったのぜんぜん知らなかったな~~。(どうでもいいんですが、中学生の頃にナメちゃんたちと塾をサボって「とにかく地元から離れたくて手持ちのお小遣いでギリギリ一番遠くまで行ける京阪の駅まで行って帰る」というのをやっていたときに守口市駅まで来て、駅前のデパートの本屋で初めて遠藤ミチロウ詩集を手に取り「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」の詞を読んで大衝撃を受けたという思い出の地でもあります……なんの話や。)
以前はたしか、駅前に線路と併行に伸びているこの商店街を歩いた気がするのですが、この分岐で坂のほうへ上るとそこが宿場町なんですね。

色のついてるほうを上っていきます。

妻籠でもこういうの見た! 宿場町っぽいやつ! 高札場を再現したものです。

文禄堤ってのは秀吉が作らせたもので、その上が京街道になってたんだそうです。実際は枚方から長柄まで(!)続いてたそうですが、今はこの守口にだけその地形の跡が残っているとのこと。古そうな建物が残る静かな通りでした。

「BUNROKU」てお店がありました。この東海道五十七次のぼりはこの後枚方宿でも出会いました。





駅側との高低差の分かる石段。こういう細道の石段ってなんか好き。

古そうな看板!

新しそうな説明板もありました。現在との比較図で当時の水路の様子が分かります。右下の子は守口の「もり吉」。守口大根を首に巻いてるらしい。

ここから交通量の多い通りに出ました。めっちゃふつうの駐車場みたいなとこに、本陣跡の看板あった!

大塩平八郎ゆかりの書院跡というのがありました。ここにあった門弟の家の一室で大塩が農民たちに講義したらしい。なんと、現在はマクドの一角になっていました。また乱とか起こしたいですね。


難宗寺。蓮如創建の寺らしい。すごい巨木があった!

浜町という交差点で大通りを横断します。ぜんぜん知らないところなのでマップだけが頼りですが、京街道マップ(前述)は縮尺が大胆すぎて小さな道がぜんぜん分からない! ほぼ勘に従って歩きます。途中、一里塚跡がありました。このあたりが守口の出入口だったんですね。(なぜかタヌキと犬に守られていました)


八雲という地域に出ました。いい名前。学校や商店や中小の会社が並ぶすごく普通の道路という感じの道路を歩きます。

守口の忍者!? と思ってワクワクしたら単に「ハットリ」って名前の候補者の事務所だった。なんなんだよ! 大人の恋ならキャリアが必要。

正迎寺。



このへんまではマップ通り進んでいた……のですが……、このあたり(浄水場があるあたり)で道に迷いました。そもそも地図を読むのが超苦手なうえ、マップが二枚目に突入したことで一枚目とのつながりが分からんようになったのも一因。地図を見てもなんも分からず「???」となり続けていたのですが、今、自分の歩行ログ(Stravaでログを取っていました)と地図を照らし合わせたところ、どうもどこかで勘違いして大回りし来た方向へ戻ってしまっていた模様。道理でなんか、高速道路の下を二回くぐった気がしたんだ……。ともあれなんとか方向転換できました。
道迷い時の自己LINEログ


「小学校がこわい」「怒られそう」ってのは、小学校の前を通ったところちょうど小学生たちがぞろぞろと登校してきて先生が校門で迎えていたのですが、もう(かなり)大人であるのに反射的に「先生に怒られる!」と思ってしまった……ということです。一生このままなのかな…
■ 淀川沿いを寝屋川へ
ともかく、淀川に出ましたぞ! なんかすごい樹のある神社の横を、堤防へ上って……



空が広い~~!!
以前チャリで京都まで行った際は淀川沿いを走ったんですが、淀川沿いのチャリコースはイケズ門が林立していて非常に走りづらかった! たぶんそういう気持ちをぶつけたと思われる落書き発見。

モノレールの線路を下から見られるよ!

この時点で9時頃、16000歩。歩き始めて既に3時間余り経っています。ここでちょっとベンチに座って景色を見ました。歩き始めるときは「適宜休憩しながらゆるゆるいこう」と思っていたのに、歩き始めると休みなく歩いてしまう……。

堤防はけっこう風がありました。



左手に川、右手に一号線沿いの街を見ながらしばし堤防を歩きます。


堤防を歩くのは気持ちいい……はずなんですが、風があるからかなんかスグ疲れてしまいました。空気は良くなくても店とか看板とか見るものがいろいろある一号線のほうが愉しいかもしれん。ということで佐太のあたりで道路側に降り、ちょっと寄り道。
「出水十二尺以上暴風雨渡舩止」、これ何かなと思ったら、ここに渡し場がありその碑らしい。普通のおうちの前にありました。


「佐太天神宮」に寄りました。佐太は守口宿と枚方宿の間の「合宿」として賑わったところらしい。



撫で牛さんが二体いた! 「牛社」の提灯が可愛いな~。頭をなでなでしておきました。牛、頭をよくしてください(香菜、頭をよくしてあげよう)。


筆塚だ~~と思ったら森喜朗の書で若干興が醒めました。でも意外に綺麗な字。

隣は来迎寺というお寺です。松すげ~~!!(アホのような感想)


素敵な道標!
ここからはしばらく、淀川と並行して走る一号線沿いの水路の横を歩きました。まだ夏のようでもある一方で、このあたりはずっと金木犀の香りがして、歩道には落ち葉が散っており、今年はずっと暑い暑いと思うてたけれども知らんうちに秋は来にけり、と思ひました。

犬のしつけ屋さん(?)とかあっていかにも国道って感じの道を延々。鳥飼仁和寺大橋ってのを越えまして(「にわじ」って読むらしい)、守口市から寝屋川市に入ったーーー!! 9:30頃。

■ 寝屋川から枚方へ

引き続き水路沿いをゆきます。この水路はまるで、夢によく出てくる水路のようです。晴れていればまた印象も違うのでしょうが、曇りの日もまた良し。昔はどっかお出かけしてお天気が悪いと「あ~~もっと天気がよければな~~」と思っていましたが、最近は、曇りも雨もそのときしか見られないそれぞれの光景なんだよな、と思うようになりました。紫外線もマシだし。





ここでもよしおに出遭いました。

ラブホテルを背景にするよしお

連結詐欺(c:ナメちゃん)に遭ったりもしつつなんとかリカバリ。なんかええ感じの遊歩道!

鳥と蛙の声がずっときこえてました。淀川新橋の袂に出ました。

マップによるとこのへんに「茨田堤の碑」があるらしいがどれか分からず、とりあえず再び淀川に出ます。
なんで二重音声みたいになっているの~~~。怖い!


またしばらく堤防をゆくと、マップにあった場所とは違ったものの、立派な樹の下に茨田堤の碑がありました。茨田は「まんだ」と読みます。難読や。


茨田堤って知りませんでしたが、日本書紀に登場する日本最古の堤らしい。解説によると「工事が難航したため武蔵強頸(むさしのこわくび)と茨田衫子(まんだのころもこ)が人柱に選ばれ、強頸は犠牲になったが衫子は機転を利かせて助かった」とのこと。エッ、そんな話なの……。助かったほうの名前が残ってるんだ!


木屋というところで、また堤防を降りて国道のほうへ。
めっちゃこんもりしたところに工場があってカッコよかったです。
国道を渡って少し歩いたところに鞆呂岐神社という神社があり、名前がかっこいいので行ってみました。

赤穂浪士の子孫が寄進した鳥居が「寄進の鳥居」として有名だそうですが、私は忠臣蔵知らずなのであまり有難みが分からず……。しかし神社周辺は、細い水路が流れエエ感じの住宅街でした。



再び堤防へ。でかい道と脇道があり、なぜかでかい道がしんどかったので脇道を歩きました。

途中で街道が堤防から逸れるので、堤防から降りる場所を間違えないように進まねばなりませんが、この地図の目印、無理じゃねえですか!!?? 「木 家 家」て!!

地図と合ってるかどうか分かりませんが適当なとこで堤防から降りました。周りが見えないのでちょっと不安になるタイプの道。

黄と青に混じって光る赤いお花がきれい。

適当に歩いてたら「枚方市」の文字が見えました。やったー!!

11:00頃、枚方入りです!! 大阪市→守口市→寝屋川市→枚方市。午前中に4つも市を跨ぐことができたっ。
疲れてきたので残りは後篇に回します。
後篇予告: 雨がめっちゃ降ります。