林の中の泥障塚(でいしょうづか)古墳群を見た後は、2号墳前の説明板のマップにあった、住宅地側の円墳へ向かいました。

整然とした一区画に墳丘が!

緩やかな膨らみが残っています。

最近立った説明板あり。この墳丘は「住民運動により保存」されたのですね。

泥障塚古墳群
指定年月日:昭和51年3月25日
所在地:小美玉市納場字泥障塚808番地 外
所有者・管理者:個人・小美玉市
泥障塚古墳群は、巴川右岸の標高約26mの台地上に所在し、前方後円墳2基、円墳5基で構成される古墳群です。径22mの円墳である第3号墳は、昭和40年代後半の団地造成の際に住民運動により保存されました。
東側の山林に所在する古墳群最大の第1号墳は、墳丘長39.5m、後円部径27.5mを測る前方後円墳であり、北側に周溝の痕跡が確認されており、後円部墳頂部には埋葬施設の石棺材が散在しています。6世紀代に巴川上流域に所在した支配層の墳墓であると考えられます。
この古墳群を南北に貫くように古代の官道が通過しています。この官道は、律令制が構築される7世紀末以降、常陸国府(石岡市)から陸奥国に延びる直線的な道路として整備されました。11世紀頃、源義家が5万の兵を従え、奥州征伐の途中、馬具の一つである泥障(あおり:泥を防ぐための皮製の覆い)を古墳に埋めた伝説から「泥障(でいしょう)塚」「あおり塚」とよばれるようになりました。
令和6年3月 小美玉市
墳頂の様子。北東方向。300mほど先に巴川が流れています。

左を向いて、北西方向。

南東方向には説明板。

南西方向。向こうの林の中に、3号墳以外の泥障塚古墳群が残っています。

グーグルアースで。
2025年12月下旬訪問