玉手山古墳群からは南東に2㎞強、南河内フルーツロードを進んだ先の観音塚古墳を訪問。
フルーツロードから枝道に入ってすぐ、飛鳥新池の堰堤の先。
左の斜面上の金網のあたり。

階段を上がります。

精緻に加工された開口部が!

説明板もあります。

国指定史跡 観音塚古墳
所在地:羽曳野市飛鳥字観音塚
指定:昭和56年4月22日
観音塚古墳は飛鳥時代(ほぼ7世紀代にあたる)に築かれ、精巧に造られた埋葬施設をもつ古墳です。発掘調査が行われていないので、墳丘の形や規模に不明な点はありますが、丘陵の斜面に土を盛って築いた、1辺の長さ(または直径)約12m、高さ約2.5mの方墳、または円墳と推定されます。墳丘の背後の山側には、墳丘の高まりを際立たせるために、元の地形を満状に掘り割った痕跡が認められます。
埋葬施設は横穴式石室の一種で、羨道(通路状の部分)の奥に前室を設け、さらにその奥には棺を納める箱形の石槨部が造られています、石槨部には棺を入れるための横口が開けられており、このかたちは横口式石槨と呼ばれています。用いられる石材は付近で産出する石英安山岩で、ブロック状に形を整えて表面を平らに仕上げた切石をすき間なく組み合わせており、すぐれた技術で精巧に造られていることが注目されます。古くから石室が開けられていたようで、副葬品は知られていません。
この付近は観音塚西古墳、観音塚上古墳、オウコ8号墳、鉢伏山西峰古墳など、精巧に造られた横口式石様をもつ古墳が集中する地域です。「近つ飛鳥」とも呼ばれるこの地域は古代の「安宿郡」にあたり、百済地域からの渡来系集団が集住した地域の一つとも言われています。観音塚古墳の横口式石槨の構造や構築技術には百済地域の古墳の影響があると考え、渡来系集団のリーダーが葬られた古墳と推定する説もあります。
実測図部分。前室の奥は石槨部になります。

前室に入って石槨の開口部を。棺を奥に差し込めるサイズで、火葬場の火葬炉のような感じです。

そんな印象を受けたのは、石組がまるでコンクリートで造られたように精巧だったからかも知れません。

石槨内の様子。匍匐すれば入れないことは無いですが憚られました。

開口部上部の、この斜めの面。

開口部を背にして。

羨門の上側も斜めの面。

側壁の石組の緻密さ。

まだまだ何千年か持ちそうです(写真はブレました)

墳丘上に露出している天井石。

そのあたりから南側の眺め。右奥が磯長谷になります。

飛鳥新池側。斜面はビニールで覆われた畑です。太陽光パネルでなくて良かった!

2025年11月下旬訪問