勝山1号墳で、ひっつき虫の洗礼を受けた後は、すぐ西の丘上の権現山古墳群へ。
丘の西裾を豊川が流れていたのですね。
ストリートビューですが、右(白山神社)から降りてきて左の坂道を上がります(案内表示あり)
舗装路を上り詰めると水道施設で行き止まりですが、その左脇に入り口あり。


途中から山道になりますが、案内表示やロープがしっかりしていて安心感があります。

急なところには階段も。

永く感じましたが、入口から3分ほどで到着。

振り返ったところに丸い池?

未完の砲台遺構とのこと。古墳が壊されなくてよかったです。

説明板の後ろが後円部。

権現山2号墳は全長33mの前方後円墳。この先にある1号墳よりも早い時期(3世紀後半頃!)に築かれたようです。

愛知県指定史跡 権現山古墳 2基
昭和48年4月4日指定権現山古墳は、1号墳と2号墳の2基の前方後円墳からなり、権現山古墳群とも総称されます。両古墳は標高68.5mの権現山の尾根線上に、90mほど離れて築かれています。
1号墳は全長38.4m、後円部径23.0m、前方部長は15.4mあります。後円部の中心には竪穴式石様が存在し、天井石には石灰岩が使われていました。また後円部や前方部の斜面には葺石が見られます。このほか、墳丘上からは底に穴があいた多数の壺形埴輪(二重口縁壺)の破片が出土しており、築造当時は古墳の上に壺が立ち並んでいたと推定されます。本墳は、古墳時代前期後葉(4世紀後半ごろ)に築かれたと考えられます。2号墳は全長33.0m、後円部径24m、前方部長は10.2mあります。葺石は無く、埋葬施設も分かりませんが、墳丘の裾から3世紀後半ごろの土器が出土しており、そのころに築かれた古墳と考えられます。
権現山古墳は、豊川下流域を広く臨む丘陵上にあり、古墳時代前期にこの地域を支配した有力な首長たちの墓でしょう。
豊橋市教育委員会
勝山1号墳とどちらが先なのか、気になるところです。
それでは後円部へ上がらせていただきましょう。

後円部墳頂の様子。

墳頂の解説板。

2号墳の後円部
2号墳の後円部は、平面が楕円に近いかたちをしています。葺石や埴輪はなく、中心にあるはずの遺体をおさめた施設もはっきりとはわかりませんでした。
なお、後円部の北側の裾から、3世紀後半ごろの土師器の高坏1点が出土しました。
そこから奥の前方部方向。

前方部側から振り返って。

前方部にも解説あり。

2号墳の前方部
2号墳の前方部は、後円部にくらべてかなり小さく、墳丘の立ち上がりもわかりにくいものです。1号墳の前方部よりもあいまいで、未発達な印象を受けます。
立地とあわせて、2号墳が1号墳よりも古い可能性をしめす特徴といえます。
解説の位置から後円部方向を。

その背後には、1号墳へと続く道。

次回につづく。
検索していたら、こちらに過去の石巻古墳ウォークの資料がありました。馬越北山古墳群の全体の測量図も。
2025年10月中旬訪問