以下の内容はhttps://massneko.hatenablog.com/entry/2025/10/24/183000より取得しました。


天神堂古墳群(天神堂90号墳ほか) 新潟県妙高市乙吉

先に見た観音平古墳群と斐太(ひだ)遺跡(弥生時代集落遺跡)を挟んで南隣には、天神堂古墳群が展開しています。

 

斐太遺跡は今回パスしてしまいましたが、弥生時代後期後半(3世紀)の200軒超の竪穴建物跡がある、既知の弥生時代後期の集落としては東北日本最大規模の遺跡だそうです。

斐太遺跡の位置図

斐太歴史の里:斐太遺跡 - 妙高市

 

天神堂古墳群は、山裾の神社が入口。道路からも看板が見えました。

 

大きな看板に促されて進みます。

 

立派な石碑と説明板。

史跡観音平古墳群・天神堂古墳群
天神堂古墳群
斐田遺跡を挟んで北に位置する観音平古墳群と、南に位置する天神堂古墳群には、合わせて150基あまりの古墳が存在しています。
このうち天神堂古墳群には、円墳を中心に100基を超える古墳が残っており、現在も良好な群集墳の景観を留めています。
大正時代に2基、昭和時代に2基の円墳が発掘調査されており、このときの成果などから、古墳の多くは5世紀代に築造されたと考えられています。

 

一つ一つ見ていたら丸一日かかりそうな。

 

草が刈られた斜面に、微かな膨らみがいくつも。

 

説明板があったので近寄ると、90号墳でした。

天神堂90号墳
90号墳は長径約15.4m、短径約15mの円墳で、本古墳の中では上から8番目の大きさを誇ります。そのため、この古墳の被葬者は古墳群を造営した豪族の中でも上位の人物であったと推測されます。
この90号墳は大正14年(1925)に発掘が行われ、その埋葬の方法は、①墳丘の中央に穴を掘り、②床面に木炭と砂を敷き、③その上に石を長方形に並べ、④石で囲まれた内部に木棺を安置する、という「木棺直葬」と呼ばれる方法の一種であったことがわかりました。この古墳の埋葬部からは直刀1本、刀子1本、鏡1面、鉄鏃23点などが出土しました。

 

大正時代の調査の図面。



 

ビニール紐で囲まれた一画。

 

 

紐に沿って登っていくと、ひときわ大きな一基。おそらくマップにあった59号墳と思われます。

 

59号墳の墳頂から斜面を振り返って。

 

いったん斜面を少し降ります。

 

すると、鮫ヶ尾城跡へのルート。

 

その手前側の、この登りが6号墳や1号墳へのルートだと思われましたが…

またの機会としました。

 

こちらの紫竜さんが山上の6号墳、1号墳まで登られています。獣道的な箇所も…

天神堂古墳群【新潟県妙高市】 : 風兎竜 kaze to ryuu

 

帰路に、諏方神社に参拝。小さな祠ですが厳かな雰囲気がありました。

 

振り返った鳥居。

 

鳥居を道路側から。


非常に背の高い消火栓がありましたが、”育ってしまった踊る埴輪”のように感じました。

 

天神堂古墳群出土品の一部は斐太歴史民俗資料館で公開されているとのこと。下記で出土した大刀などの画像も見られます。

斐太歴史の里:観音平・天神堂古墳群 - 妙高市

 

2025年10月上旬訪問




以上の内容はhttps://massneko.hatenablog.com/entry/2025/10/24/183000より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14