9月15日の敬老の日、埼玉東部と茨城西部の古墳を幾つか巡りました。ブログネタが尽きたので…
初めの目的地は真名板高山古墳。
後円部先端側の駐車場あたりから。

説明板あり。墳長127mの前方後円墳です。

埼玉県指定史跡
真名板高山(まないたたかやま)古墳
昭和49年(1974)3月8日指定
真名板高山古墳は、行田市東端部を南北方向に延びる埋没低台地の西側縁辺部に立地する大型の前方後円墳で、墳丘鞍部が大きく破壊されています。
本古墳は、平成2~4年(1990~1992)に行われたボーリング調査の結果、墳丘の下部が現地表面下に約3m埋没しており、墳丘の周囲に深さ約2mの二重の周溝が巡っていると推測されています。また、本古墳の規模は全長約200m、全幅約127m、墳丘長約127m、墳丘高は前方部、後円部共に約9~10mと推定されます。
本古墳の墳丘は、ロームと茶褐色士を交互に細かく積んで築造されており、墳丘の築造規格は埼玉古墳群の稲荷山古墳等と同じ大仙型と思われます。墳丘周辺から円筒埴輪、人物埴輪・器財埴輪等の形象埴輪、土師器高坏等が出土、もしくは表面採集されており、本古墳には墳丘に埴輪が樹立されていたものと思われます。出土・採集された円筒埴輪は、その形態から6世紀第3四半期頃のものと推測され、本古墳の築造年代も同時期と思われます。
本古墳は、同時期に築造された埼玉古墳群の鉄砲山古墳を凌駕する規模の大型前方後円墳で、被葬者は武蔵国造級の権力者であった可能性が高いと考えられます。本古墳はかつての利根川流路に近い場所に位置しており、利根川水運で運ばれて来た物資を埼玉古墳群周辺に荷揚げするには、最も近い場所と思われます。そうしたことから、 本古墳の被葬者は利根川水運を掌握していたのではないかと推測されます。
令和6年1月 行田市教育委員会
実測部部分を。

さあ墳丘へ参りましょう。

上ってすぐの後円部。(現地では前方部だと思い込んでいました)

上ってきた方向(北東側)を振り返って。

そこから細くなった尾根上を南西へ進みます。

左手(南東側)に食い込むように建物が。

さらに細尾根を進みます。藪蚊多し。

見えてきた前方部墳頂。現地では後円部だと思っていました。

その左斜面のもさもさを。

前方部墳頂へ参りましょう。後円部より前方部のほうが高く感じました。

広い墳頂です。

石碑あり。

振り返った後円部方向。

前方部先端方向。

前方部先端から降りて振り返って。

前方部右裾近くから。右奥へ後円部ですが、途中は建物が入り込んで抉れています。

前方部左裾から。左奥へ後円部。

同上、ちょっと斜面寄りで。

再び、細尾根を後円部へ戻りました。

鞍部から後円部を。

行田市のサイトには、墳長90.5mとあり、説明板の127mとはかなり違うのですがなぜでしょう?
Wikipediaでは墳長104m。
2025年9月中旬訪問