前回からの、福昌寺の古墳のつづき。帯刀(たてわき)古墳群です。
境内の西側、墓地の後ろには、グーグルマップにはピンが立っていない”高まり”も。

ぺんさんのサイトで、おそらくそれが帯刀28号墳だったと知りました。本堂北隣の「帯刀先生義賢の墓」も円墳だったのですね。
帯刀先生義賢の墓-帯刀古墳群28-29【埼玉県上里町】 - ぺんの古墳探訪記
本堂正面、南側の帯刀29号墳の裾には説明板が。

それは福昌寺の解説でした。古墳群の名称由来もたどれます。

福昌寺
所在地:児玉郡上里町帯刀302
福昌寺は、寛正5年(1464)、陽雲寺中興開祖である天英祥貞禅師が、源為義の次子で、近衛天皇の東宮時代に、東宮の警備隊長である帯刀先生として仕えていた源義賢の菩提を弔うため一寺を創建し、帯刀山士峰院と称したのが始まりであると伝えられるが、のちの天正10年(1582)に北条・滝川の神流川合戦において堂塔すべて焼失した。
天正12年、信濃国守護となった小笠原貞宗の子孫で陽雲寺六世外雲守門禅師が再び諸堂を建立し、現在の士峰山福昌寺となった。宗派は曹洞宗であり、本尊は釈迦如来である。
当帯刀地区は、古くは長幡郷に属していたといわれるが、平安時代の久寿2年(1155)、源義賢が、比企郡の大敵の戦いで甥の悪源太養平に討たれ、当地に落ちのびて没したため、地元の人々が五尺あまりの塚を築き、その上に五輪塔を祀ったと伝えられている。
昭和60年3月 埼玉県 上里町
その背後が帯刀29号墳。

裾の石には上里町107号墳の標識。奥壁っぽい石ですね。

整備された参拝路を上がらせていただきます。

墳頂の石碑。

そこから南方向。
1㎞先に、大御堂古墳群があるのですが、探訪は次の機会としました。

すぐ北には鐘楼。

墳丘を東側から。

2025年6月上旬訪問