以下の内容はhttps://massneko.hatenablog.com/entry/2025/04/29/221106より取得しました。


荒神山古墳群A支群1号墳 第3次調査 現地説明会(2025/4/12) 滋賀県彦根市清崎町

今回のシリーズで最初に訪ねたのは、旅の主目的だった現地説明会でした。

集合場所は荒神山神社遥拝殿。

なるべく公共交通機関でとのことだったので、河瀬駅から歩こうと思っていたところ、東海道線が京都駅でのトラブルで止まっていて再開目途が立っておらず、発車間際の近江鉄道に飛び乗って豊郷駅で下車。タクシーを呼んで20分ぐらい待って…、とドタバタしましたが、10時の集合時間前に辿り着けました。

(米原駅で午後からカーシェア予約していたので、その時間を早めれば良かっただけと悟ったのは近江鉄道が出た後でしたが、沿線の桜の車窓を楽しめたのでよしと。

 

こちらは集合場所の遥拝殿への桜並木。

 

大きな鳥居。

 

こちらが遥拝殿。山頂の荒神山神社を麓から拝む社殿です。

 

その説明板。

 

現説でテントを見ると気持ちが高まってきます。

発掘は滋賀県立大学考古学研究室と彦根市が行っています。

 

今回の調査では、出土品としてはそれほど多くは無く。ですが、時代を下っても「信仰空間として利用するために古墳の大規模な改変が行われた可能性」が高まったとのこと。


前の月に出来たばかりの説明板には、これまでの成果が反映されているようです。

荒神山古墳群
荒神山には、国指定史跡の荒神山古墳(古墳時代前期末、4世紀末)だけでなく、 多くの小規模な古墳(古墳群)があります。これらは荒神山古墳群と呼ばれ、古墳時代後期・終末期(6世紀中ごろから7世紀)に築造されました。 荒神山古墳群には、畿内(奈良など)の技術をもとにした在地の石室と朝鮮半島由来と言われるドーム形の石室が共存しています。
特にドーム形の石室「穹窿頂持ち送り石室」が集中するのは全国的に稀です。

荒神山古墳群 A支群1号墳
彦根市と滋賀県立大学が調査を実施した荒神山古墳群A支群1号墳では、古墳時代だけでなく、室町時代や明治時代の痕跡が見つかりました。室町時代ごろには石仏を安置し、その前で火を焚いた痕跡が残っていました。ここで護摩(火を使った祈とう)を行った可能性があり、昔の人も古墳を重要な信仰の「場」として、何度も利用していたことを示しています。
2020年度から彦根市文化財課では滋賀県立大学と継続して調査研究を進めています。
今後も調査を実施し、荒神山古墳群の実像を少しづつ明らかにしていきます。
2025年3月 彦根市観光文化戦略部文化財課 作成

 

2班に分かれて、小径を登り現場に到着。なかなか大きな横穴式石室で感動しました。

 

石室内の高さは2m近い感じでしたが、床面には後世の時代の土が何層かあって、まだ当初の最下部までは掘っていないそうでした。

 

奥壁の右前に置かれた小さな立石が石仏(室町末~戦国期)です。

 

左の大きな石列は羨道側壁。後世に積まれた上部の石を取り除いたことで左奥の玄室側壁面からの羨道側面の張り出しがはっきりして、両袖式と考えられることがわかったそうです。

 

開口部を横から。袖石が見えています。

 

羨道の、玄室に向かって右側面には後世に積まれた石の上に祠があるので、その部分は残ったまま。

 

羨道を反対側から。

 

開口部の上側には、墳丘の様子を探るためのトレンチがいくつかあけられています。

 

こちらは今回新たに設けられた東側のトレンチ。

 

「比較的大きな溝状遺構が検出」されており、須恵器片が出土していることから周溝の可能性も考えられますが、形成された年代は不明であるので、今後も調査を継続して行い、精査を進める予定」だそうです。

「」内は、いただいたパンフから。

調査の説明や、道中の案内、途中の安全確保などに多くの学生さんが参加されていて、感銘を受けました。山の中での発掘調査自体も、大変だったと察しますが、学びと感動も多かったことでしょう。

これからの調査も頑張ってください。(先生も)

そして説明会を開催していただいた関係各位に感謝申し上げます。大変ありがとうございました。

 




以上の内容はhttps://massneko.hatenablog.com/entry/2025/04/29/221106より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14