前回までの「王陵の里」の前には、14㎞ほど北西の古保利古墳群を目指していました(未到達)
マップのピンは山の尾根上ですが、そこを目指すと裾に古墳の説明板がありました。

国指定史跡 古保利古墳群
平成15年8月27日指定
古墳群は、塩津湾を見下ろす丘陵上に一列に並び築造されています。
陸からは見えず、琵琶湖側からだけ見ることができる古墳が多数あることから、琵琶湖を強く意識した古墳であることがわかります。
古墳時代後期の群集墳が一部にありますが 、古墳のほとんどは3世紀中頃から4世紀にかけて(古墳時代前期)造られ、さらに前方後円墳が8基、前方後方墳が8基、円墳が7基、方墳が37基あり、基本的な古墳の形がすべて含まれています。
古保利古墳群は、立地、構成、年代から、日本を代表する古墳時代前期の古墳群として 重要です。
平成20年12月 滋賀県教育委員会
もうひとつ、詳細な説明板には、尾根を埋め尽くすように古墳の列。

国指定史跡 古保利古墳群
平成15年8月27日指定
古保利古墳群は琵琶湖の北端、塩津湾に面する細長い丘陵上に分布する一大古墳群です。※時期は古墳時代初頭(3世紀代)から終末期(7世紀代・飛鳥時代)であり、現在判明している古墳の数は132基です。各古墳は分布図のように一部を除いて丘陵稜線上に約3㎞にわたって築造されています。琵琶湖北端に直面する丘陵上に形成されていること、長期にわたって築造され続けていること、群集墳や後・終末期古墳を除き主な古墳が自然地形にしたがって「列状に並ぶことに特色があります。
それに前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳といった古墳時代に造られた基本的な形の古墳がすべてそろっています。首長墓と考えられる前方後円墳・前方後方墳が現状で各8基、計16基も含まれています。特に前方後方墳が多い点が特記されます。円墳と方墳はそれぞれ 19基・訂基あります。また、この古墳群周辺には大森古墳(前方後方墳ないし双方中方墳)、 姫塚古墳(前方後方墳)、若宮山古墳(前方後円墳)、松尾宮山1号墳(方墳)など首長墓が分布しています。つまり、古墳時代の各時期の様々な形をした有力な古墳が集中、築造されています。これは高月地域とその周辺を中心に安定した政治的な地域体制が成立、存在したことの証しです。
以上のような分布状況に加えて、前方後円墳と前方後方墳が隣り合って築造された地点があること、前方後円墳は北・西方向を意識して構築されているなどの興味深い特徴があります。
古保利古墳群が形成された丘陵上から琵琶湖と平野部が一望でき、湖北一帯はもちろんのこと湖東・湖西方面も遠望できます。深谷古墳のように湖からしか見えない古墳もあります。このように琵琶湖を意識した立地は、 当時の重要な交流・交易の手段であった水運を意識しており、まさに湖の古墳群です。この古墳群の被葬者たちはそれを掌握していた首長層とその所属集団であったと推定されます。古来より湖北地域は畿内と東海・北陸をつなぐ交通上の要衝であり、古保利古墳群の形成は当然とも言えるでしょう。
なお、一部の古墳の確認調査が実施されており、山陰・北陸・東海地方や湖南地域などほかの地域の特徴を持つ土器が少量出土しています。土器以外にも、特に小松古墳(3世紀代・全長約60m・前方後方墳)では当時の権力の象徴である中国製の銅鏡や銅鏃・鉄鎌・水銀朱などが発見されています。また、古墳群中最大規模の西野山古墳は全長90m前後の前方後円墳です。築造時期は明らかではありませんが、立地(選地)、や墳形などから古墳前期末葉頃の古墳と考えられています。湖北地域では長浜茶臼山古墳とともに滋賀県内有数の規模を誇っており、大きな権力を持った豪族とそれをささえた強力な集団が蟠踞していたことを物語っています。
長浜市教育委員会
西側から見るその山並み。左奥が標高324mの”山本山”
登り口がわからなかったのですが、地理院地図を見るとその山本山の麓の寺社からのルートが載っています。

山腹のところどころに桜が。橋は”西野放水路”にかかっています。

かつての放水路(トンネル)の入り口。

そこを抜けると琵琶湖で出ました。




説明板も撮ったのですが、これはさらに隣の手掘りのトンネルのものでした。そちらには気がつかなかったので、古保利古墳群とともにいつか再訪したいと思います。

滋賀県指定史跡
西野水道
昭和59年3月30日指定
江戸時代後期の文化4年(1807)、天保3年(1832)、同七年(1836)に当地をおそった大洪水と大飢軽により西野は壊滅的打撃をうけた。こうした惨状を救うため、西野充満寺住職恵荘は、西山を掘り貫き水道をつくり、余呉川の水を琵琶湖に流すしかないと考えた。
工事は天保11年(1840)より着工され多くの労力・経費を費やし、幾多の苦難を乗り越えて弘化2年(1845)に水道は完成した。
水道は「近江の青の洞門」と呼ばれ、長さ220m、幅約1.2m、高さ約2mを測り、古生層の岩盤からなる山塊をくり貫いてつくられた排水用の水路で、近世の民衆史上特筆すべき貴重な遺跡である。
水道内の壁にはノミ痕が残り、水路は所々で折れ曲るなど、工事中に何度か方向とレベルを修正したことがうががえる。
平成5年3月
滋賀県教育委員会
古保利古墳群が展開する山は、11年前に琵琶湖側から遠望しました。

2025年4月中旬訪問