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市脇相賀古墳群(1号墳) 和歌山県橋本市市脇

市脇相賀(いちわきおうが)古墳群は、前回の陵山古墳から高野街道を隔てて西に1.5㎞ほど、同じく紀ノ川右岸の丘陵端に立地します。

 

目指した先の相賀大神社(おうがだいじんじゃ)には広い駐車スペースがあります。

 

参拝後、社殿の左へ行くと見えた標柱。

 

背後に説明板が見えています。

 

このときはストレートに登ってしまいましたが、左の道を上がって折り返すと楽に行けます。

 

その折り返し点。奥に説明板。

 

その説明板。

橋本市指定文化財(第3号)
市脇相賀古墳群(1号墳)
昭和43年5月28日指定
山田川と市脇川に挟まれた南に突き出した丘陵先端の南斜面に造られた古墳群で、市脇相賀大神社の背後に位置する。『紀の川用水建設事業に伴う発掘調査報告書』(昭和53年)によると、昭和44年(1969)の段階ですでに開口している横穴式石室をもつ古墳が3基知られており、分布調査の結果、さらに5基の円墳が確認されたという。すでに知られていた3基のうち1基は造成工事により消滅していたため7基が残されていたと記している。 
1号墳は神社のすぐ背後にあり、古墳の南側は水路により削り取られている。径3.6m、高さ1.8mの墳丘規模で、内部主体は緑泥片岩を用いた割石積みの横穴式石室となっている。石室は南に開口するが、羨道(遺体を納める部屋に至る通路)部はほぼ全壊しており、長さ2.8m、高さ1.5m、幅1.5mの両袖式の玄室(遺体を納める部屋)部が残存していた。副葬品等は伝えられておらず詳細は不明であるが、後期古墳に属するものとみられている。しかし、昭和の末期、台風による倒木のため崩壊してしまった。 
また、背後の斜面には4号墳から8号墳の5基の墳丘が認められるとともに、西方約50mには2号墳が入口部分を破壊された状態で玄室のみを残す。 
平成28年2月 橋本市教育委員会 相賀大神社

 

「市脇古墳群略図」のアップ。

 

説明板のすぐ後ろに小さな開口部。

 

羨道正面ではなく、玄室の石が一部抜けた場所のようでした。

 

手を差し込んで何枚か写した中での1枚。正面が奥壁だと思いますが、しっかり残ってています。

 

さきほどの折り返し点から、ちょっと斜面に入ってみましたが

 

墳丘らしき高まりはあるもののどれがどれだかは判然としませんでした。

 

説明板を見下ろして。

 

斜面上を見上げて。

 

この後、説明板の図にあった2号墳へ向かおうとしましたが探し当てられず。

今あらためて「わかやま古墳ガイド」を見ると、2号墳の見事な奥壁の写真があって、また大事なものを見過ごしてしまったと…

 

額田大玉さんや、ふっき~さんの写真をご覧ください。

市脇相賀古墳群2号墳 - 古墳とかアレ 出張所

和歌山県橋本市 市脇相賀古墳群2号墳 | 古墳探訪記

 

2025年3月上旬訪問




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