今回の墳行で最後に訪ねた古墳は、多度津町の宿地(しゅくち)古墳になりました。
多度津駅から南西に1.7㎞、徒歩なら28分の距離。
県道の南側(右上のガードレールが県道)に開口しています。

墳頂の宿地神社の小祠を背後から。右の岩は露出している天井石。

後ろに県道からの階段あり。県道は路肩に余裕が無く、駐車場もありません。

説明板はありました。

多度津町指定文化財(史跡)5番 昭和43年7月1日指定
宿地古墳
多度津山塊北山と向山の中ほどの丘陵部に造られた古墳。墳丘の形状は円墳であり、横穴式石室を埋葬施設としている。墳丘現況の直径は約13.5mである。横穴式石室の全長約8m、玄室長3.9m、玄室最大幅2.2m、羨道残存長4.1m、羨道幅1.22mを測る。天井石が露頭していることから、実際の墳丘はさらに大きかったと考えられる。
「宿地(しゅくち)」という名称は神功皇后が三韓征伐の帰路で立ち寄り、宿泊した場所であるという伝説からきている。西讃府志にも「是ヨリ宿地ト云處二移リ玉フ、其處二宿リ玉フ。因テ宿地トヨベリト云」とある。現在は墳丘上に宿地神社が鎮座している。
宿地古墳の横穴式石室は非常に大きな石材を使用しており、いわゆる「巨石墳」に分類される。石室の形状と昭和42年に採取された須恵器2点から、この古墳は7世紀第一四半期(飛鳥時代頃)、古墳時代の終末期に造られた古墳(終末期古墳)である。
多度津町内で最終段階に造られた古墳であると考えられ、石室の構造的特徴から、吉備系の古墳や観音寺市大野原町の大野原古墳群の影響を受けており、巨大な石材の使用、古墳の規模、副葬品などから比較的力の強い人物の墓であった可能性が高い。
多度津町教育委員会
多度津町のサイトにも解説あり。
石室は、大野原古墳群の平塚古墳や角塚古墳の中間時期の特徴を持っているそうです。
開口部を正面から。

羨道から玄室を。

奥壁には巨石が。

天井石も巨大です。

奥壁を背にして。

羨道に向かって左側。

右側を。

フラッシュで。

床面は泥沼状態で靴が2,3センチ埋まる状況。トレッキングシューズであったのと替えの靴を持っていたので入りましたが、帰宅後の靴洗いが大変でした。

古墳のすぐ西隣に素敵なレストランがありましたが、営業直前の時間でした。

多度津町そらとたべるthreee”讃岐名物やみつきチャーシュー”
お店の前の”額縁”からは金比羅山方面が。

東には、讃岐富士(飯野山)も望めました。

2025年1月下旬訪問