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高蔵古墳群・後編 愛知県名古屋市熱田区夜寒町・高蔵町

高蔵古墳群のつづきです。

 

金網で囲まれた境内地の北側に、1号墳の説明板が立っていました。

 

1号墳解説には古墳群全体に関する記載も。

高蔵古墳群と高蔵1号墳 
・高蔵古墳群 
高蔵古墳群は熱田台地の南東端付近に立地し、高座結御子神社と高蔵公園内に位置しています。鍵谷徳三郎氏による明治41年の記録では高座結御子神社を取り囲むように7基の円墳が、周辺も含めれば15~20基程度の古墳がありました。公園内には5号墳と7号墳が残存しており、わずかに高まりがわかります。また、神社の稲荷社の裏には4号墳と3号墳が残存しています。 

・高倉1号墳 
高蔵1号墳は、高座結御子神社周辺にあった古墳のひとつです。直径16~18m、高さ2~2.5mの円墳でした。昭和29年(1954)の名古屋大学の発掘調査により、埋葬施設は2つの部屋を持つ横穴式石室であることが分かりました。石室の中からは5人分の人骨、くび飾りの玉、耳飾り、鉄の刀、釣針、土器類などの副葬品が見つかりました。 
※出典:新修名古屋市史資料編考古Ⅰ、文化財叢書第49号、名古屋大学文学部研究論集VI 史学4 1955 
・発掘調査の記録 
昭和29年(1954)の調査により名古屋大学が発掘調査のレポートを残していますが、地元の方も発掘の様子を写真や自筆のメモとして記録していました。▲写真提供 矢代マミ子氏(高蔵学区)

・他地域との交流 
床や壁に使われている川原石は、この付近では採れないこと、岐阜県各務原市及び可児市に川原石積みの石室をもつ古墳があることから、 木曽川中流域に住む豪族の協力のもと、木曽川から石が運ばれ、造られたと考えられます。 
出土品に釣針があることも、この古墳に葬られた豪族は、木曽川や伊勢湾に関わりがあったと考えられます。 
教育委員会文化財保護室 平成30年度作成

 

美しい石室を持っていたのですね。

 

説明板の隣のこの円にあったのでしょう。

 

境内地からはみ出るように大木。

 

公園内に立つ大木も。境を設けたときご苦労があったのでは。


その先で境内への西入り口があり、高蔵稲荷社にお参りして


その背後の高蔵4号墳へ。

 

墳丘の様子。

 

特に柵は無かったので上がらせていただきました。

 

墳頂から見た稲荷社。なかなかの高さがあります。

 

赤い鳥居の参道。この左(北)側に、高蔵3号墳のピンが立っていることに現地では気づきませんでした。

 

参道から見上げた高蔵4号墳。

 

境内南西側の神社参道を。

右の街頭奥、ちょっと盛り上がっているところが高蔵6号墳だったようです。

 

その手前には夜寒公園の創設経緯の解説がありました。

2024年12月上旬訪問




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