高座結御子神社参拝後は、周りを囲むようにピンが立つ高蔵古墳群を東の5号墳から巡ってみました。
境内から一旦南の道路に出て、保育園との間の小路から高蔵公園に入ります。

そのスロープ脇に5号墳の解説。調査が60次ってすごいですね。

高蔵5号墳と環濠
・高蔵5号墳
高蔵5号墳は、平成29年度の試掘調査(名古屋市教育委員会)により、方墳の可能性が高いことが分かりました。墳丘の大きさは一辺20m以上で、出土した埴輪や須恵器から5世紀末から6世紀前半ごろにつくられたと推定されます。
さらに、平成30年度の高蔵遺跡第60次発掘調査により、墳丘の西側は、平安時代から鎌倉時代に大きく削られていることが分かりました。また、土器類のほかに灰釉陶器や軒平瓦などが出土しており、軒平瓦の模様は、熱田神宮遺跡出土品と同じものでした。
かつてこの地には神社関連の施設がつくられ、その後墳丘の土で埋められたと推定されます。・環濠
高蔵遺跡第60次発掘調査では、高蔵5号墳の墳丘の下で、弥生時代前期の溝が見つかりました。この溝は過去の調査において、公園南側の民地で確認されており、その延長部分にあたるものです。公園東の高蔵保育園付近の溝の他にも溝(濠)を巡らした集落であったことが伺えます。こうした集落を環濠集落と呼び、弥生時代の集落の特徴の一つです。
教育委員会文化財保護室 平成30年度作成
その背後に”高まり”が。

自立する説明板もありました。弥生集落跡(土偶も出たということは縄文遺跡?)の上に造られた墳丘です。

高蔵5号墳と環濠
高蔵5号墳は、平成29年度の発掘調査により、埴輪をたてた古墳であることが確認されました。墳丘の周りに掘られた溝から方墳の可能性が高く、墳丘の大きさは一辺20m以上と推測されます。
出土した埴輪や須恵器から5世紀末から6世紀初頭につくられたと推定されます。
高蔵5号墳の墳丘下には、弥生時代前期の溝が見つかりました。溝(濠)を巡らした集落であったことが伺えます。溝の中からは弥生土器のほかに土偶の頭部、カキやハマグリの貝殻が見つかりました。教育委員会文化財保護室
北側からの5号墳。右のスロープを上がってきました。

その先へ進むとまた解説板が2か所に。周囲に2重の円が示されています。

それが高蔵8号墳の跡でした。

高蔵8号墳
高蔵8号墳は、平成30年度の発掘調査により、古墳であることが確認されました。河原石を積んだ横穴式石室で、直径17~18mの円墳です。墳丘の周りには、溝が掘られていました。須恵器や土師器が出土しました。須恵器の年代から7世紀ごろにつくられたと推定されます。
現在は、墳丘の周りに掘られた溝の場所に石を敷いて、周溝の位置を表しています。教育委員会文化財保護室
北側からの8号墳跡。

その隣の7号墳は、若干高まりを有しています。

横穴式石室を持っていたとのこと。

高蔵7号墳
高蔵7号墳は、平成29年度の発掘調査により、古墳であることが確認されました。高蔵1号墳と同じく、河原石を積んだ横穴式石室で、直径16mの円墳です。石室は地表面に露出する河原石の配置から、全長約8mと推測されています。7世紀頃につくられたと思われます。
現在は墳丘の周りに掘られた溝の場所に石を敷いて、周溝の位置を表しています。教育委員会文化財保護室

北側から。手前が高蔵7号墳、その奥が高蔵8号墳。

つづく(刻みます)
2024年12月上旬訪問